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13 アラフィフの反抗期<母親編>

タイトルからして恥ずかしいのですが、私は反抗期らしいことをあまりやってきませんでした。母からすると、子供時代はとても育てるのが大変だったというので、それなりに母にとっては扱いの大変な子供だったとは思いますが、自分の中では反抗どころか、一生懸命母に好かれる努力をした記憶しかないところが、親子の難しいところだなと思います。

「だから、母が悪い」と言いたいわけではありません。もちろん、これから書くように、一時は母を毒親だと思っていたこともありますが、そもそも毒親であること自体が愛なのだと今は思っています。ですから、今もたまに母にムカッとすることはありますが、それで良しです。ずっと反抗期でもいいのだと自分に言い聞かせて存分にムカついています。なぜなら、それは親を超えるタイミングだからです。

さて、夫に文句を言えるようになった私は、自分が抑制してきた親への感情にも気づいていきました。実は同居を始めた頃にも、一度爆発したことがあるのですが、その時も言いくるめられたような形で終わり、不完全燃焼だったのか、私はどうやらかなり母を恨んでいるらしい自分に気づきました。

私は長女を産んだ頃に母から、「テレビや携帯は子供によくないから、ほどほどにね」と言われていました。素直で(この際自分で言ってしまいますが)真面目な私は、早期教育用のビデオを見せる時以外は日中にテレビ画面をつけることはなく、また子供が起きている時間に携帯を触ることはほとんどありませんでした。

でも、いざ母と同居してみるとどうでしょう?三女がまだ1歳になりたてなのにも関わらず、母は、小さな孫が何やら話しかけても、大好きなフィギアスケートの番組を見て「うん、ちょっと待ってね」を繰り返し生返事です。携帯電話も孫たちより優先しているではありませんか。もう呆れるやら悔しいやら。子供にとって良くないと私に教えた行動を、母は何のためらいもなく、約十年もの間その教えを守ってきた私の前でやってのけたのです。

しかも母はこれでも教育カウンセラーの仕事をしたり、子育て系のシンポジウムなどで講演を頼まれるような講師や団体理事なのです。だからこそ尊敬もしていましたし、ありがたく教えを守っていたのに、裏切られた気持ちと、子供に対する態度に頭にきたどころではありませんでした。

今思えば、母は自分ができていないことだったから、私にやって欲しいと思ったのだと思いますし、子育てのエキスパートとなるまで勉強や行動をしてきたのだとは理解できるのですが、その時はもうショックとしか言いようがありませんでした。

そして、私は母に、思ったままをぶちまけました。「自分ができていないことを、世の中のママたちに教えていいの?」「私にばっかり正論押し付けて、私をコントロールして、私はあなたのペットじゃないんだよ!」そんなことを言った記憶があります。

でもその時の母の反応は、「まあ、かわいそうに・・・辛かったのね・・・。」と言う、人を憐むような態度のみ。謝らずに、私の心配をする母に拍子抜けしました。「誰のせいでかわいそうなの?」と思いましたが、母には通用しない気がして、私はとりあえず言いたいことは言ったという達成感のようなもので満足することにしたのだと思います。

その後も私を裏切るように母の周りには私に教えたものとは矛盾するものでいっぱいでした。私に片付けを口うるさく言っていたのに、自分の部屋は埃だらけでしたし、人の悪口は言わないように躾けられましたが、毎朝新聞に向かって、知らない人相手に批評をしていました。挙句の果てには、夫に文句を言わないように言っていたのに、父に対してため息をついているではありませんか。

私はそんな母に嫌悪感を募らせていたのは確かですが、親孝行して喜ばれた時の顔や、親子の仲が良いことを喜んで友人に話す母の姿を思い出しては、一生懸命その怒りを鎮め、母を許そうとしました。でもそれは紛れもなく、我慢でした。

その我慢は娘が亡くなった時に、ついに恨みとなって吹き出しました。そして私は恐ろしい自分に気づいたのです。仏壇の前で悲しんでいる自分でありながら、「ざまあみろ!」と思っている自分に出会ってしまったのです。

その「ざまあみろ」と思っている私は、私が苦しむことで、母の教えが間違っていることを証明したいと思っているようでした。「あなたの教え通りに生きていると、こんなに不幸になりますよ」と言わんばかりです。そして子供が苦しんでいる姿が母親を苦しめると知っているからこそ、自分が絶望すれば、母を懲らしめ恨みを晴らせると思っているようでした。

なんて残酷で冷徹非道な自分。でもそれは紛れもなく私の中から湧いてきた言葉でした。自分が恐ろしくなりました。私が我慢を重ね恨みを募らせていなかったら、私は悲しい自分を演じる必要もないはずです。もしかしたらこの絶望的な現実は、親への復讐にもなっているのではないかと思いました。

親への復讐のために、大切な娘が命を絶つというシナリオを私は自分で演じているのかもしれない。娘の死はそんなシナリオのために利用されていいはずがありません。

私は親への復讐をやめなければいけないと、自分に言い聞かせました。そもそも自分が我慢しているのがいけないのです。我慢さえしなければ恨みになりません。ムカムカするたびに、言ってスッキリすればよかったのです。

しかも我慢した理由は、「親だから」に尽きます。心のどこかで、仲良しでいたいという思いや、親をがっかりさせたくない(がっかりした顔を見ると辛い)という思いがあるからです。しかもその思いの根底にあるのは、親に認められてないと自分に価値がないように思える自己無価値感でしかありません。

自己価値が低いことや、このような性格になったことも親のせいにしようと思えばできますが、もう大人になった私は、自分で自己承認のテクニックも学べます。いつまでも甘えているのでなく、さっさと反抗期を経て自立しなくてはいけなかったのです。

私はどんどん反抗しました。思ったことを遠慮なく言いました。言いたくても言えなかったことも思い出すたびに、「あの時はこう思った」と言うようにして、自分の内側に溜まった澱を掃除していきました。母も辛かったと思いますが、よく辛抱して聞いてくれてました。相変わらず謝りませんし、たまに逃げられたりもしましたが、私は自分の言葉を伝え続けました。

そして、最近、母が謝らない理由がわかってきたような気がするのです。それは、母は母なりに自分を一生懸命生きていて、未熟な自分であっても、失敗する自分であっても誰かの役に立っていると知っていて、人間誰もが、未熟で失敗するけれど、それでいいのだと、ある種の悟りのような境地にいるのではないかと思えてきたのです。

謝るということは「悪い」と言う前提があるから謝るのです。でも彼女は誰も悪い人などいないのだということを、自ら体現して見せているだけなのだと思えてきたのです。そしてそれは私が母親の立場である時に、何かを間違えたとしても「悪」ではないと言ってくれているように感じたのです。

そして、しっかりと毒親を演じてくれることで、私が反抗するという体験を通して自立していけるように、実はしっかり母親の役目を果たしているのだと、今は思います。また同時に、私が娘たちに毒親と思われることを恐れず自分を生きられるよう、私を支えてくれているようにも感じています。

母がしていることが社会では褒められたことではないことかもしれませんが、人間誰しも褒められた存在でなくてもいいのですよね。生きてるだけでいい。むしろ誰かに褒められようとするより、自分が自分を大事にできていると自分を褒められたらそれでいいのではないかと、母を見てると思えるのです。

もちろんこれは、母から確認を取った訳ではないですし、もしかしたら、一ミリもそんな悟った考えの上で行動しているわけではないのかもしれませんが、私がそう受け取れたのならそれでいいのです。実際、未だにムカムカしてしまうことのある唯一の相手なのですが、でも私の魂は、この人の娘で大正解だったなと喜んでいる気がします。

そしてこの体験ができたのも、娘が亡くなるという絶望的な現実を突きつけられたからこそだと思う時、やはり娘は私の守護天使だなと思います。そして絶望は愛であり、死は教えであり、家族は学びを助けてくれる魂の仲間だと思います。

特に母親は遠慮のない反発ができる一番の相手なのに、仲の良いふりだけをしていては勿体無い相手でした。自分を産んだ人を超えようとすることは、生物の本能でもあるはずです。親孝行を本当にしたいのなら、聞き分けの良い子や、優しく親思いのふりをするのでなく、親を超えて、自分の腕の中に守っていけるようになるまでは、反抗していていいのかもしれません。

自分らしく生きる時、反抗期は避けて通れない道なのだと思います。そして、父親もまた超えなくてはいけない存在でした。母の教えを守らなくてよくなった私は、父にも挑んでいくのです。

つづく

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