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「平安の箱舟には二人ずつ乗り込む」という意味

奇跡のコースの内容は、ほぼ理解していると自負しているのだが、
一点だけ、とても分かり難い部分がある。

赦すという奇跡においては、自分自身の投影とただ向き合えば良い。
この世の現象の筋書きや登場人物など本来関係ない。

目の前の人間、その人間のする事、すべて幻想であり、自身のあずかるところではない。
人と人の間に、本当のコミュニケーションは成り立たたず、
巻き込まれる事は無意味で、それら全てが赦す(取り消す)材料にすぎないはずなのだ。

しかしワプニックさん(コースの理解と解説においての第一人者)は「奇跡講座入門」という書籍でこう話す。
「共通の関心や目標のために、二人の人間が一致協力する瞬間に、救済は訪れる」(P11)
これがコースの基本原理だという。

確かに、投影である事象(人物)と意見が食い違ったり、争ったり、もしくは依存しあったり、それが赦しの対象となることは充分頷ける。

特別な関係が罪悪感の押し付け合いのような構図も、この世界でコースの実践に好都合だという事は納得できるのだが、
初期の段階で一つの例として取り上げられるならまだしも、それが基本原理というのはいささか飛躍しすぎだ。

だからコースの実践に忠実な人は、その相手を探そうとするし、固執する。

たとえコースの成り立ちにそのような背景があると言っても、それはヘレンとビルの関係性が特殊なだけで、すべての人に共通するわけではない。

人間同士の一致協力とは、あまりにも二元性的考えであり、まったくもって世俗的なのだ。

そのような俗っぽい視野に置かされて、それが基本原理だと言われたら、普通なら混乱する。
混乱しないなら、それは本当にコースを理解出来ていない事になると思う。

コースはあくまでも一元性理論に基づく思考変化の実践である。

以下、コースのテキスト及びワークから抜粋。
ヘレンが受け取ったイエスの言葉である。

「聖霊は決して代替を使わない。自我が或る人を別の人の代わりと知覚する状況で、聖霊は彼らがひとつに繋がった不可分のものと見る。」18-Ⅰ-2−1

「あなたと兄弟は、別々に出かけていき、どこにも行き着かなかった無意味な長旅を終え、今、二人一緒に故郷に帰っていくところである。」18-Ⅲ-8-5

「兄弟の手をとったあなたは、肉体を超えたところに到達し始めている。」18-Ⅵ-10-2

「聖なる瞬間には、神がご自身とあなたがた両方のために建てた祭壇の前に、あなたと兄弟が一緒に立つ。不信を脇に退けて、二人一緒にそこに来なさい。そこであなたは、信を通して作り直されたあなたの関係という奇跡を見るだろう。」19-Ⅰ-14-1

「平安の箱舟には二人ずつ乗り込むが、別の世界の始まりも彼らと共に行く。一つひとつの神聖な関係が、今では聖霊の目的を共有しているので、必ずこの箱舟に乗り込み、聖霊の計画における自らの特別な機能を学ぶことになる。」20-Ⅳ-6-5

「この部分は、時間が始まって以来ずっと、あなたの兄弟を見て、完璧に彼を認識してきた。そして、かつてそうであったように再び彼とつながって自由になるということ以外には、何も欲しなかった。」21-Ⅳ-5-1



これらを読んですぐに理解できただろうか

兄弟やら、彼やら、一体何を対象として話しているのかと、疑問に思うだろう。

イエスには申し訳ないが、世間に広めるつもりなら、もう少し分かりやすく明瞭に伝えてくれないかと思う。
なんだかモヤモヤと疑問だけ抱かせて、投影を赦すというコースの原理にまったく関係ないとさえ思うのだ。
そんなにこの世の二人という単位が重要なのか。

これを踏まえて、有料記事においてわたしの見解を述べていく。
ツインソウルという存在も無関係ではないので、その現象についてもう少し深く話していかれればと思う。
興味がおありでしたらどうぞ覗いてみてください。

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