Gracias Rulo
2024年4月15日。遂にこの時を迎えました。
37歳。20年間に及ぶ現役シーズンの終わり。
彼との最初の出会い(テレビ)は何時だっただろうか。父の横で試合を観ながら何時の間にか認識していた Raúl García の文字。
大人になってから出会ったアトレティの中でもラウガル好きを公言する人は多くなかったが、リーガを観てきた人からすれば、知らない人はもちろんいなかった。
でも、スペインにいた時ですら、好きな選手を伝えた後の反応は、必ず「ラウガル?!」という反応が返ってきた。
彼に惹かれたのは、偶然にもずっと背中を観てきたから。決して一目惚れではなかった。
技巧派な中盤としてアトレティコにやってきたものの、実際はパンプローナのジダンとして困難な時代が長く、8番を背負ってしまったばかりに批判されたことも多かったと思う。それでも大好きなフットボールをアトレティコとアスレティックで続けてくれた彼の背中は偉大でしかない。
チョロが来てからというものの、ジダンらしさを微塵たりとも消し去った新生ルーロの姿があったからこそ、出場数歴代3位に名前を刻んだ。と言っていいのだろうか。
もしかしたら、オサスナの超新星として、ファンタジスタとして活躍し続ける未来もあったのかもしれないけど、アトレティコの8番として赤白の背中を見ることができて本当に幸せだった。
オンザボールでは90分間消えてたこと、わけわからんところにパスを出してアトレティを笑わせてくれた(イライラさせた)こと、突然の一撃でファンに歓喜をもたらしてくれたこと、優勝を決めてガビと一緒にピッチに倒れ込んでたこと、EL初優勝を支えたメンバーであることは言わずもがな。
私としては、人生どん底にあった時にアトレティとして彼のプレーを観れたことが何よりの救いだった。だから、涙と共にアトレティコを離れた時は純粋に活躍を祈った。
アトレティとして329試合、7つのタイトル獲得。私の青春も彼の活躍と共に。
アスレティックに移籍してから常に全力のプレースタイルがバスクチームと合致したようで、のびのびとしていた。本当によかった。ミドルシュートはオサスナ時代からの特技だったが、理不尽なフィジカルによるエアバトルはいつ見ても驚いた。
攻撃時は味方との距離間を常に確認しながらバイタルのスペースを活用し、味方を信じてゴール前に飛び込んでいく。次のプレーに繋がりそうにないボールも全力で追いかけて繋いでいく、その姿は他の選手じゃ真似できない。
オサスナでの才能とアトレティコでの苦悩がミックスされたラウガルは唯一無二の選手。
自分ができないことは捨て、可能なプレーを120%で表現する。これが真のフットボーラーであり、アトレティコよりも重要なコト、「人生そのもの」なんだと感じてきた。
残り少ない彼の背中を目に焼き付けよう。まずはメトロポリターノでいつも通り拍手で出迎えよう。
それと22番の服、また買わなきゃ。
Mi vida con este gran jugador seguirá un poco más.
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