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ごちゃまぜプレイフル(多様性を楽しむお作法)
今日は、臨床美術のお教室の作品から、、ではなく、
コロナ初年度・2020年の夏、お盆休み中に起きた出来事を綴ります。
短い夏休みを、家族みんなでのんびり過ごしていた日のこと。
ランチを終えて、のんびりしていると、
当時小2の長女・ちゃーが提案をしました。
「みんな、アートの時間しましょー!」
ちょきちょきと画用紙を小さく切り、
私と夫、そして2歳の妹・サクちゃんに配ってくれました。
みんなでダイニングテーブルに座り、即席アート教室のはじまりです。
「赤ちゃんも先生みたいなもの」?!
「ひとり、4本、好きな色を選んでくださーい」
そういって、色鉛筆を持ってきました。
「指を、画用紙において、まわりをなぞっていってくださーい」
ゆっくりガイダンスしながら、自分も作品づくりに取り組むちゃー。
すると、2歳のサクが、色鉛筆を横からぴっととったり、
描くのをお邪魔虫してきます。
そこで、私がこう提案しました。
「先生、ここにキッズスペースをつくるので、
その赤ちゃんはをこっちで遊ばせたらどうですか?」
すると長女
「ああ、こちらの方も、”先生みたいなもの”なので、このままで大丈夫ですよー」
さらりと言い放ちました。
「先生みたいなもの?」
なるほど!!
へーー、次女を「邪魔」と思わないんだ?!
そして、案の定、2歳児が、色鉛筆で私たちの紙に落書きしてきます。
それをみて、ちゃーは
「うふふ、アートですね!」
と、にっこり。
夫も、私も、目を合わせて、驚くとともに、
なんだかとても楽しい気持ちになってきました!
「うまくつくる、ではない、たのしむ」
夫が「あー、思ったような色が出なかった」というと。
「いいと思いますよ、それもアートですねー。なかなか面白い色ですよ!」
と、ちゃー。
「そう?そうかなあ」と、夫も色を塗り進める。
ちゃーのふるまい、言葉を聞いていると、ここには「正解」「うまい下手」がないことがよくわかる。ただ、面白がる、楽しめることが、大切なのだなあと。
そして、できた作品はこちらー。上・夫、下・私。
「ではみなさーん、鑑賞会をしますよ」
と、前に小さな椅子を並べ、作品を並べてくれるちゃー。
「では、いいとこポイント、気づた人!!」
そう、臨床美術のお教室では、作品ができたタイミングで、
みんなで味わう「鑑賞会」なるものを実施するのです。
ちゃーもそれを実践。
「ちゃーは、パパの、ステンドグラスみたいで好きです」
「ママのは、うっとりしますね、もようがウキウキしてますね。」
お互いの素敵ポイントを、言い合う。
そんな語彙があったのか、と思いながら、共に味わう瞬間。
次女サクも、きゃっきゃ笑いながら、なんとなく一緒に過ごす。
そして、最後に、それぞれに合うマスキングテープで周りを整えてくれました♪
いつも、私がちゃーの作品を家に飾っているように、
キッチンの窓辺に飾ってくれました♪
ごちゃまぜプレイフル
長女ちゃー、普段の生活の中では、妹を邪険に扱う時もあります。
たとえば、アイスが最後の一本になってしまった!
なんて時は、どっちが食べるか、どう半分こするか!と小競り合いをすることも。
でも、今回、面白かったのは、臨床美術の教室で体感していた
「アートには正解がない、うまい下手はない、楽しむ、うけいれる」
そういった空気を、ちゃーが自然に再現していたことでした。
その中では、赤ちゃんですら「先生みたいなもの」つまり、
何か偶然にコラボして面白いものが生まれる「可能性」として捉えることができる、ということ。
とても、ささやかな出来事だけど、
ちゃーの中で育っている素敵なスタンス・心を感じる時間となりました。
こうした積み重ねが、ひょっとすると、ダイバーシティ&インクルージョン的なものにつながるのではないのかなあ。
ちゃーの臨床美術の先生が「せめて、ここでの時間は、肯定してあげたい」と以前おっしゃっていたことを思い出します。
安心して、自分を表現できるって、あらためて、素敵だなあと、思うのでした。
An intellectual says a simple thing in a hard way.
An artist says a hard thing in a simple way.
知識人は難しい方法で簡単なことを伝える。
芸術家は簡単な方法で難しいことを伝える。
(チャールズ・ブコウスキー アメリカの詩人)