昭和漫画とゴジラマイナスワン
山田玲司が「昭和の漫画で、
俺たちはカッコいい男ってこういうものだって
見せられて育った」
と言ってて、
なるほどと思いつつ、
前から思ってたのは、
「昔の漫画は特にそうだけど、
男の主人公は強くて頼りになるカッコいいキャラとして描く一方、
女の子が主人公のアニメは等身大というか、
ありのままのリアル寄りな女の子」
な感じがしてて、
それがちょっと不思議だった。
「わたしたちは、これが理想の女だって言うのを漫画で見せられて育った」
って言う人はあまり見ない気がする。
ハイジとか赤毛のアンとか、ほかの少女アニメでも、
やっぱり等身大の、
女の子ってこういうものだよね、
って、小説が原作だからか、
観る側に優しく寄り添うというか、
共感できる主人公なんだけど、
男の漫画は劇画でもスポーツ漫画でも、
とにかくカッコよくて強いか、
小さくても負けん気No.1みたいなキャラばかりで、
共感よりは、
見上げて憧れる存在というか、
なりたい理想の自分みたいな。
少女漫画もそうだけど、
女性主人公と、
男性主人公では、なぜこんなに違うんだろう。
やっぱり男の主人公
はカッコよくて強くて頼りになる
存在であって欲しくて、
女性は弱くてもいいよ、
人間らしくていい、
男が守るから、
女性は優しさとか愛とかサポート的な
部分があればいいから、
みたいな、
そういう役割分担があるからなのか。
この役割分担が、
初めてガンダムで破られて、
男の主人公が初めて弱くて根暗で、
共感して寄り添える存在になったのかもしれないけど、
当時としては、
弱くて根暗でいじけた、
戦争に巻き込まれたかわいそうな
男の子が主人公って、
むしろ拒絶された部分もあったんじゃないか。
さんざん強い主人公を見てきて、
いきなりアムロとかシンジを見たら、
気持ち悪い、イライラする、
みたいに感じてもおかしくない。
これが逆に女の子が主人公なら、
そういう面があっても、
まあそうだよね、とあまり違和感はなかったんだろうか。
シンジは企画段階では女の子だったって話があるけど。
ジブリとか宮崎駿もそうで、
やっぱり初期は強くてたくましい男の子が主人公で、
だんだんハウルとゲド戦記くらいから
男の描写がリアルになってくるけど、
女性が主人公の作品は、
やっぱり早い段階で、
魔女宅とか等身大の女の子を描くのが
デフォルトになっている。
どうもやっぱり、
女性は弱さとか人間らしさを許容される一方、
男は強くあるべし、
って言う空気感は全体的に漂う。
戦争では男は兵士にしないとどうしょうもないから、強い戦士であれ、
犠牲を払うのが尊くて偉い、
女性は後ろでサポート、みたいな
価値観を国民に植え付けて、
その名残で、
戦後の漫画は
戦争で生き残った世代が
「恥ずかしくも生き残ってしまった、
戦いの中で散るが男の華」
みたいな破滅主義が巨人の星とかあしたのジョーになったって言ってたな。
まあそうなのかな。
その、男は戦場に出てナンボ、
仕事で働いてナンボ、みたいな
感じが
ゴジラマイナスワンの主人公が
特攻隊にいて特攻を何度も躊躇して帰還して、
周りから冷たい目で見られ、
本人も情けなさや恥を感じているというシーンが
「恥ずかしくも生き残ってしまった主人公」
という感じで、
犠牲を払えない自分は恥、みたいな感じで
その当時の社会集団や周りの価値観に
飲み込まれて恥や無価値感に苛まれているのを見て、
自分と同じだ、と強く感じた。
戦時中の価値観は戦後にガラリと変わるけども、
現代でもゴジラの主人公と自分は結局、
同じ価値観、役に立てない自分、犠牲を払えないのはダメ、という価値観に飲まれて、
同じ苦しみを味わっているんだな、
と強く感じた。
結局、根底は戦中も戦後も、
昭和も令和もあまり変わってないというか。
それをハッキリ見せてくれたのが、
ゴジラマイナスワンのありがたさの一つだった。