ドマクロビアンのおばあちゃんとの出会いで生き方変わった!・・・田舎暮らしラプソディーその⑤
思いもよらない展開で東京→茨城の山奥へと引っ越すことになった今から30年前の人生備忘録。
「田舎暮らしラプソディー」は1992年の暮れから1996年に体験した30代前半の時の田舎暮らし経験を、2001年に、あるミニコミ誌からインタビューを受けて記事になったものに追記して書いたものです。
冷蔵庫もはじめはあったんですが、途中で壊れてしまいました。
使えなくなった冷蔵庫は即ただのゴミ。
ゴミの収集のない所に住んでいたから、自分たちで電気屋まで持っていかなくてはいけない。それも有料引き取りで。
さらに玄関に車を横付けできないから、車まで自分たちで運ばなくてはならない。
あまりにもそういうことが無駄におもえて、今思えば非常に短絡的なんですが、冷蔵庫なんて必要ないんじゃない?ということになった。
あの頃、神戸も一瞬にして壊れました。
(※1995年当時)
そういうこともあって、物に頼るということが私たちの概念から抜けていったんです。
壊れたらすぐゴミになるものを大事がって使うんじゃなくて、そういうものに頼らない生活をしてみようかと。
冷蔵庫は新品だったのです、念のため。
長期の旅に出ていたら、なぜか壊れてしまっていました。
家からリヤカーに載せて車まで運んだのですが、リヤカーを使ったのは人生でこの時が初めてでした。
思っていた以上に力が必要でバランス取るのが超難しいということが初体験でよくわかりました。
そして意外にも冷蔵庫がなくてもやっていけたのです。
地元のおばあちゃんに
「冷蔵庫がない時は何を食べていたの?」
ときいたら、
「牛乳もなかったし、卵もなかった。
肉なんて食べたこともないし、今も嫌い。
何食べていたかな、、、そばとか蒟蒻だね。」
(⇑当然そばも蒟蒻も素材から手作り)
「米だって、数えるしか食べたことなかったよ」
と言うのです。
そこは全然物が取れないすごく厳しい土地だったので、必然的に粗食になっていくしかない。
そのおばあちゃん、最近医者に言われてやっと牛乳飲もうかな、というくらい食生活がスマート。
なのに目もいいし、歯も丈夫。
耳もいい。
80歳を超えているんだけど、ものすごくお元気だったのです。
粗食なのにこれだけ元気でいられて、歳を取ってもまったく支障がないんだったら、私もたぶん大丈夫だろうと思って、そのときから玄米菜食をはじめました。
おばあちゃんとは大家のおばあちゃんなのですが本当に良くしていただきました。いつも私たちを気にかけてくれて、何かにつけて助けてくれていました。
マクロビオティックを地でいっていた方で。
いま思えばこのおばあちゃんが田舎暮らしのキーマンだったことがわかります。