見出し画像

適応障害との共生日記③ 原因part2

はじめに

今日は、昨日の記事に引き続き、
僕が社会人になってから、どのような部分で現在の病気になったのかを探る内容となっております。
また、昨日も書きましたが、

あくまで僕のやってきた仕事内容について書き、
僕の気持ちの裁量でそれを判断した結果を書きます。
これを読んだ方には、「僕私の方がつらい仕事をしている」とか、「そんなことにも耐えられないのか」などと思う方もいるのかもしれません。
ですが事実、僕はそれらに耐え切れず、現在「適応障害」を患っています。
社会人の皆様が、僕以上につらい仕事をしていて、つらい状況下にいることも承知しています。僕は今、その状況に耐えている皆様に対し、率直に
「すげぇなぁ・・・。」と思っていますし、尊敬しています。
ただ、本来仕事の「辛さ」は、個人に置かれている状況や、精神面の強さなど、ひとりひとり違うため、比べることなどできないと思います。
ですので、温かく読んでいただければと思います。

よろしくお願いします。

本題③ 10月(入社7か月)

10月。
というよりも、まずは9月末。
僕は営業部1課に所属し、とある北海道地場企業のチームの一員として、先輩に同行しながら勉強していく日々を過ごしていました。

そもそもチーム内は、商品の「カテゴリー」ごとに担当者1人が割り当てられるように分けられていて、
(「医薬品担当1人」「ホームケア担当1人」「ビューティー担当1人」など!)
この段階では、僕はどのカテゴリーの担当でもなく、来年2年目から担当を持つまでの「準備期間」として、勉強していました。
(北海道支社の1年目は、通常この「カテゴリー」を持つことはまずありません。)

しかし9月末、僕のチーム内の先輩社員が一人、急遽退職することになりました。理由は、取引先へのストレス、多忙、過労、それに見合わない低賃金、です。

出張などに同行した時など、よく飲みにつれて行ってくださったり、30歳という年齢も割と近いこともあって、いろいろ面倒を見ていただいた方なだけに、僕もショックでした。

営業の人間が一人減りましたが、弊社は「人を減らしてコストを抑え、利益を出す」という会社の特徴もあり、人員の補充はありません。
したがって、新入社員としては異例ですが、僕が10月1日からカテゴリー担当として持つことになりました。

本題④ 11月~12月(入社8~9か月)

晴れてカテゴリー担当として働く僕は、最初はチーム内の上司に教えてもらいながら仕事を進めていました。

がしかし・・・・・・・・

僕はこれまで(6~9月)先輩社員に同行するだけでしたが・・・・・

いざカテゴリー担当を持つと、仕事量と拘束時間は半端じゃありませんでした。
これは、僕の1日のスケジュールをまとめたものです。

5:30 起床
6:00~7:00 会社PCにて受信チェック(朝の発注確認)
8:00 出社兼即仕事開始
12:00~12:30 昼休憩
13:00~19:00 仕事
~20:00 帰宅&夕食(食べられないときもある)
20:00~23:00 自宅にて、会社PCで仕事
1:00 就寝


正直、やってられませんでした!
仕事は、内勤業務と、外回り(店回り)、取引先商談、メーカー商談、イレギュラー業務(これが意外と多い!)など様々あります。したがって、勤務時間では確実に終わりません。

そのため、休みである土日も仕事をしなければいけません。
土曜日は、毎朝の受信確認で早起き。
日曜日は、それ以外の内勤業務。

そうです。これは、僕以外の社員全員がこのようなスケジュールで仕事を行っています。
というか、毎日このくらい仕事をしなければ、終わりません。
年を取るにつれ、役割や責任も多くなるので、これ以上に働いている人もいます。
課長などは、軒並み家庭が崩壊しているとのことです。

それでもこれは、僕が選んだ道。
というか、社会人はこれが当たり前で、宿命だと思っていました。
1日15時間働くなんて当たり前。
「ワークライフバランス」なんて最初から存在していません。
「ワークアズライフ」です。

僕は気づきました。
だからこの会社の人たちには笑顔がないんだ・・・。
きっと、疲れきっていて何もかも余裕がないんだ・・・。
(昨日の記事に、僕が初めて出社した時に思った感想が書かれています。)

「ワークアズライフ」は、筑波大学准教授でメディアアーティストの落合陽一さんの本で勉強したことがあります。

でも・・・本来好きだった業界で働き、「ワークアズライフ」として働いているのに、なぜこんなにも苦痛なのだろう??
いつしか、取り扱う商品への興味も、探求心もなくなり始めていました。

そんな11~12月。

本題⑤ 2020年1月

そんな生活が続いて1月。
ついに体に症状が出始めます。
いつもの通り、取引先の本部で商談を終え、帰社しに車を運転しているとき。
赤信号で待っている間、僕はいつの間にか気を失っていました。
寝不足だったから寝落ちしていたのかもしれません。
今まで絶対こんなとがなかったのに・・・とにかく、事故を起こさなくてよかったです。

ここから、僕は体と心の異変に気付き始めます。

本題⑥ 2020年2月

1月に車の運転中に気を失っていたことを皮切りに、僕は出勤中、勤務中の運転で、たびたび強烈な睡魔に襲われるようになりました。路肩に止めたり、コンビニに停めたりして休まなければならないくらいです。
(でも、僕の会社は、社用車にGPSとテレマティクスが搭載されていて、勤務とは関係のないところに15分滞在していたら指導が入る、という謎規定があります笑)

また、5:30に起床する際、頭痛と吐き気が毎日続くようになり、頭痛薬を毎日飲むようになりました。

そして、明確に「会社に行きたくない」と言わんばかりの倦怠感に襲われ、出勤時は心も体も重く、いまにも涙が出そうな状態の日々が続きます。

なぜこんなにも仕事がつらいのだろう。
よくよく考えてみると、仕事量(実勤務時間)に見合った給料ではありませんでした。

僕の1か月の給料は、24万円で、税金が引かれ、銀行に振り込まれる金額は、18~19万円です。
実際の労働時間は1日15時間
ただ、会社の立場としては、勤務時間は8:45~17:30で、
営業は毎月、~18:30までの1時間分の見込み残業代が支給されています。
ということは、1日当たり約6時間ほどギャップがあります。
しかし、見込み以上の超過労働分は「支給する」ことに決まりとしてなっていますが、営業は、申請できません。
というより、「申請することがタブー」となっています。
入社前の説明会でも、入社後の研修でも、超過分の残業代はきちんと支払うと教わったのに!!謎!!
そして、毎日4~5時間ほど自宅にて会社のPCで働いている分などは、ガン無視です。
そもそも、会社の立場としては、PCの持ち帰りは、「緊急対応時のために念のため持ち帰らせている」という立場であり、家での仕事は推奨していない、という立場をとっています。
しかし、ひとりにかかる圧倒的な仕事量、利益を出すための少ない人員なども把握しています。

なんという矛盾。というか、現状を把握していながらも、「家での仕事は推奨していない、個人の問題」と言わんばかりの逃げ道。

・・・・というある種の理不尽さが募ってきました。
ここ書き切れていないし、いざ書こうとしてもまとまらないので、後日改めてまとめようかな。

逆に会社のいいところは、ローンが1発で降りる社会的信用性があるところです。そのほかは今のところ思いつきません。笑

とにかく、少しまとめきれませんでしたが、僕は
時給約720円で働き続け、精神を削っていく日々を過ごしていました。

今日はここまでにします。

次は、その後の3月と、4月、そして発病を書きます。

長々お読みくださりありがとうございました。
もっとわかりやすいように書くよう努力します!!

>>>次へ続く

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?