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『日本語ということば (Little Selections あなたのための小さな物語)』レビュー

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『日本語ということば (Little Selections あなたのための小さな物語)』

赤城かん子

※『らせんの本棚①』に収録したレビューを大幅に加筆修正しました※

この本は、本の探偵をしていた赤木かん子さんが集めた、「日本語ということば」についての随筆だったり物語だったりを集めた本です。
※本の探偵とはいっても古本屋さんが難事件を解決するわけじゃなくて、思い出の本を探してくれる人のことですね。

本を読む能力の低下とか、SNSばっかりで140文字以上読めないだとか、若者の活字離れだとかいう話題があるといつもこの本を思い出します。

この本にはなんと、小学二年生の少女が書いた読書感想文(というか作文)が取り上げられていて、それがホント、すばらしいの一言なのですよ。

ちょっと古い本なので中古でないと入手できなさそうですが、とんでもなくよい文章なので、図書館でもなんでもよいのでとにかく読んでいただきたい本なのです。

寺山修二やら橋本治やら、文章のプロの小品が並んでいる中、トリを飾るのが、その(当時)小学二年生だった中村咲紀さんが書いた『セロ弾きのゴーシュ』の読書感想文、『「あまえる」ということについて』
これが!、ウルトラ超絶最高にすばらしいのです。
いやほんと、泣けますよ!><
文章の展開が上手いとか、技工が優れてるとか、そういうことじゃなくて、この子の人間性がすばらしいのですよ。

それが、(まだ漢字をあまり習っていないので)ひらがなばかりの文章に詰まっているのです。

ほんと、ぜひオリジナルの文を読んでいただきたいです。小学二年生の文章にグッときますから。マジで。

彼女はまず『セロ弾きのゴーシュ』のあらすじを語りながら、ゴーシュの心がいかに頑なであったかを解説してくれます。

 だれも気がついていないけれど、ゴーシュの心の中には、へんなものがたくさん入っています。へんなものというのは、その人によってちがうけど、じこまん足だったり、つよがりだったり、がまんのしすぎだったり、色んなものがあります。そういうへんなものが心の中に入っていると、本当のじぶんがちゃあんと見えません。ゴーシュは一生けんめいれんしゅうをしているつもりだけど本当のじぶんがちゃあんと見えていないので、本当のれんしゅうができていないのです。

心にへんなものがたくさんつまってセロがうまくひけないゴーシュのところに動物たちがやってきて、彼らとの交流によって知らず知らずのうちにゴーシュの心にも変化が起き、セロの腕前にもそれが現れる、というわけです。

私も小さいころ『セロ弾きのゴーシュ』を読んだのですが、そんなところまでちっとも読み取れませんでした。。。後で紹介する赤城かん子さんとおなじく「変なお話だなあ」とはおもってましたけれど、そんな素晴らしいことが書かれているなんてちっともわかっていなかったのです。

それどころか、彼女は人が生きる意味までこの本から読み取っています。

 かっこうは、かっこうという名まえがついているくらいだから、「かっこう」とうたえてこそのかっこうです。ゴーシュは、「セロひきのゴーシュ」というおはなしのしゅ人こうなんだから、セロがひけてこそのゴーシュです。
生きるってそういうことだと思います。

生きるってそういうことだと思います。

うわあ。小学二年生に生きる意味を教わりました!!><

すごい……。

それから、彼女はつらかった幼稚園のころの思い出をゴーシュに重ね合わせます。そのつらさを友達や先生のせいにして、他人に転嫁している。いかに自分の心が頑なだったのかに気が付きます。

そして、ぐいぐいと読ませる展開がこれまたすごい。彼女の心の成長と、それに対応するゴーシュの物語がたびたび交差します。彼女の心と目を通じて、そうか、宮沢賢治さんはほんとうにそういうことを語っていたのか……と、ようやく読み手も気が付くのです。

これはすごい。読書感想文で人生を。良い生き方を、そして、心のありようを、自分の感情との付き合い方を、人が人として生きる大切なことをピュアに語っています。(繰り返しますが小学二年生がですよ!!)

日本語のプロの赤城かん子さんですら『セロ弾きのゴーシュ』にそんな意味があるだなんて知らなかったと言います。

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↑赤城かん子さんによる章扉

さらに、あとがきで、

驚いた?
私は驚いたよ。絶句したさ。

〈中略〉

何十人もの精神医学の研究者たちが何十年もかかって到達した結論に、咲紀さんはたった一人でたどり着いたのです。

このように語っています。

ほんとにそう。

そしてそして、その彼女が到達して読み手に示してくれるその結論で、ちゃあんと我々のこころまであったかくしてくれるのです。この感動といったらもう。涙、涙です。赤城かん子さんがこの文章を本のラストに持ってきたのもうなづけます。

あんまりスゴすぎて、「親や先生が書いてるんじゃないの?」なんて突込み入れてる方もいたようですけど、私はたぶん、しっかり本人が書いているとおもうのですねー。もしも親や先生が書いていたとしたら、これまたそうとう立派な親で、それだけ立派な親だとしたら、子供の代筆なんかしないだろう、とおもいます。

早熟な天才はいつの時代にもいるものです。
若者が長文を読めない・書けない。ってどんなに言われても、これだけの綺麗にまとまった文章をかける子がわずかでも存在してるってことは、平均点は実はそんなにさがってないのかも? ってちょっと安心できますね。

―――

以前、この『「あまえる」ということについて』をとてもうまく紹介してくれていた(その紹介文だけで泣けてくる)ブログのリンク
http://mellowmymind.hatenadiary.jp/entry/20070515/p1
を紹介していたのですが、残念ながら今見るとデッドリンクになっています。

引用が多くて叩かれたりしたのかなあ。
よいブログだったのにもったいないなあ><

ともあれ、この本の、とくに『「あまえる」ということについて』は絶対の絶対におすすめです、万難を排して、絶対、必ず、読んでください! (強制かいw)

―――


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