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テッテレーについて思うこと

数年前。

災害により住むところを失ってしまった方たちの為に建てられた、公営住宅完成のニュースを視た時のこと。


仮設住宅で不自由な生活を強いられてきた方達がようやく快適な生活を送ることが出来る、その基盤が完成したという喜ばしいニュースに、僕も感慨深い気持ちでテレビ画面に目を遣る。


画面の中には新しく綺麗な集合住宅が映っていた。
エントランスと思しき場所にはスーツに身を包んだ自治体の長や住民の代表といった面々が並び、その前にはテープカット用のテープ。
彼らはリボンのついたハサミを持ち、長々とした挨拶に耳を傾けながらも司会の合図を今か今かと待っている。

その映像が流れる中、ニュースは「〇〇世帯、●●人の方がここで生活するとのことです」というようなナレーションで状況を説明する。

そしてその間も、現場で撮影されたVTRの中では式が進行する。


いよいよだ。


「それでは皆様、お手元のハサミでテープカットをお願いします!」という司会の声の直後に流れたS E効果音は、



♪♪テッテレーーーー♪♪ドッキリでしたー!の音




違う。

絶対にそれじゃない。

なんなら、この手の式典で一番使ってはいけないSEだ。


テレビのバラエティ番組に毒された僕としては、「新築の公営住宅」だと思っていた建物が実は薄っぺらいパネルで作られたリアルなハリボテで、それが代表者たちに向かって倒れ、覆いかぶさってくる映像しか想像できない。

もしくはせっかく建てられた「新築の公営住宅」が大袈裟な量の火薬で爆破され、仕掛け人と称する人物が『ドッキリ』と書かれたプラカードを掲げて出てくる未来しか想像できない。

いずれのパターンも、ボロボロになったスーツに身を包んだ代表者たちが真っ黒になった顔で「ぅおーい!何してくれてるんだよ!!」と文句を言うくだりまでがセット。

真面目な状況やニュースで、不謹慎な想像はしたくないのだ。
どうか、真面目なイベントのBGMやSE選びは慎重に行って頂きたい。



悪意は無くとも「事故る」現象は、僕達の人生には往々にして起こる。



20代前半の頃。


母方の代々の墓を遠方から近場に移すという出来事があった。

もともとド田舎に墓があったが実際のところ誰もその近隣には住んでおらず、こまめに墓参りが出来る場所に移そうではないかという母の兄(=伯父おじ)の思い付きに、反対する者は誰もいなかった。

新しい墓地は母の実家から車で15分のところにある寺院の敷地内。
墓を移したら、その寺院のお坊さんにお経を上げてもらうという、ちょっとした式典があるとのこと。

「墓を移す」とは言っても古い墓石を持ってくる訳ではなく、実際は新しい墓石を建てるため、ことは思いのほか大掛かりだ。
移すのは中身(と、魂的なやつらしいが詳しくないので当記事では言及しない)。

*

当日。

既に祖父は他界していた為、僕は母の実家に向かい祖母を自分の車に乗せ、簡易的な式典の準備が進行中の寺院に向かった。


道すがら、祖母は感慨深げに言う。


「あんたも自動車を運転できるようになったんだねぇ」

「あんたにドライブに連れて行ってもらえるなんて、もう思い残すことはないよ

ふと、祖母との思い出が頭を駆け巡る。

祖母の家で僕がやかん・・・に悪戯をし火傷を負った時、血相を変えた祖母に病院に連れていかれた事。

旅行先の土産物屋で、今となってはどこが良いのかも分からない消防車のショボい玩具を買ってもらったこと。

自慢の炊き込みご飯を作って待っていた祖母に冷たい態度をとってしまった思春期の自分。

…などということを思い出しながらも、言うなれば「墓場までのドライブ」とも名付けたくなるその行程に、妙な面白さが込み上げてきてしまう。
別に僕は姥捨て山うばすてやまに祖母を捨てに行くわけではないのだが、妙なストーリーを組み立て始めてしまう…のを必死の思いで頭から掻き消し、アクセルを踏む。

*

カーナビに従い寺院に到着、足の悪い祖母をサポートしながら真新しい墓石の傍らへ向かうと、親戚一同は既に揃っていた。

「〇〇家代々之墓」というような文字が彫られた“いわゆる縦型の墓石”。
その横に置かれる、「墓誌」と呼ばれる石板が想像できるだろうか。
故人の戒名と没年月日が彫られた、年表のようなものだ。
石材業者と、責任者である伯父が墓誌の最終確認をしている。

 誤字脱字、没年月日に間違いは無いか。
 仕上がりは問題無いか。

何となくその光景を祖母と二人で眺めていると、伯父が何かをブツブツと言っている。
墓誌に刻まれた戒名を指で差しながら。

「………で、〇〇爺さんが〇年の〇月〇日で、●●さんが●年の●月●日で…。で、親父が死んだのが■年前の■月だからここに、こう…と、で…お袋がここに来るわけだな空白を指差しながら完全なる真顔で




おい、やめとけって。

存命だから。

俺の横でまだ生きとるわ。

彫られてもいない未来を勝手に読み上げるな。

「孫にドライブ連れてってもらったから思い残すことはない」とは言っていたが、まだだから。

声には出していない。


言うまでもなく“変な空気”にはなったが、どうしてもこういう「不謹慎×事故」のような状況に、僕はどうしても弱い。

堪えきれず噴き出した僕に先んじて、大笑いしながら鮮やかなツッコミを入れたのは、他でもない祖母本人だった。

あんた我が息子の方が先かもしれないでしょ!」


いや、それはそれでどうなんだ。

などと思いながらも、この人のDNAは僕の中にも受け継がれているのだということを実感した。

*

病気を繰り返しながらも生き抜いた祖母はその数年後、実の息子による予言通りに天寿を全うした。
墓誌の順番はといえば、これも予言通り、祖父の次に祖母の戒名が刻まれた。

まぁ、順番が狂わずに守られたことを一番喜んでいるのは、祖母だろうとも思うのだが。


笑ってはいけない状況であればあるほど、どんなにつまらないことでも笑ってしまうのが人のさがだ。

たまたま仕事中に近くを通り、しばらく行けていなかった墓参りをして思い出した話。

皆様、SE選びと予言失言にはくれぐれもご注意を。


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