2020年6月13日

緩和ケアは市場原理渦巻く病院という組織とは相反するもので,このアイデンティを掲げて病院では生きてはいけないのだろう.

「私は,もう,この件であなたたちと話し合う気はありません」

当地に来て,2回,カンファレンスの場で私の口から出た言葉.一度目は長生きしている患者を,診療報酬上の理由でホスピスから退院させる施策に基づく話し合い.二度目は今回の面会禁止について.

現場のスタッフ間で「面会制限」に関して討議するのは,私にとっては醜悪であり,ホスピスケアを嬲り殺しているようにしか見えず正視に耐えない.どのようなやり取りも,組織の決定を遵守する前提で話し合っても仕方がないのだ.もはやスタッフ同士傷つけ合うだけで,互いの思想の違いが際立ち落胆するだけだ.

組織は今でも厳格に患者との面会を制限させている.醜悪な同意書をとり,「特定の家族,二人まで,1回10分」.粛々と徹底され,それ以外の人間はブロックされている.
危篤に陥り家族を呼ぶと,かなりの確率で3人目,4人目の家族がついてくる.当然だろう.動物としての本能だ.我慢して連れてこない家族を「常識人」としたり顔で評する人間を私は心底軽蔑する.ついてきた家族は受付で制止されるが,収拾がつかなくなる場合もある.

私の行動規範に従えば,面会させるべきだ.そもそも,悪疫の現状で厳しく面会制限をすること事態がナンセンスだと考えている.そして,「彼ら」が事態の収拾を現場に投げようとする場合,私は尽く撥ねつける.「あなた達で対応してください」と.

組織を守る(自分のポジションを守る)行動規範で決めた施策であるから,家族を患者の死に目に会わせないことから生じる苦悩,憎悪,慙愧の念のあらゆる感情を,施策を決めた人間は受け止める責務があろう.それを現場に投げることは絶対に許さない.

「彼ら」に鬼気迫る家族の感情を受け止めさせるのは酷なのかもしれない.しかし,決めた責任は取ってもらう.私に決める権限を移譲するのであれば,当然面会させるが,と追い詰めていく.私に責任をとれと言うなら,即刻退職してこの土地を二度と訪れない.それでも足りぬというのなら,この生命すら呉れてやろうと.

ヒトの死にまつわるエトセトラを会議室で決められることへの怒りはもはや頂点に達した.「ここはひとりで死ぬための場所です.来てはいけません」と,入院面談で家族に話すことの虚しさもそろそろ限界に近づいてきたようだ.

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