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お金はほんとうに必要か?

世の中お金が巡り巡っています。
この世の中で生きていくためにお金は必要不可欠です。
誰もがお金を使って、必要なものを買い、お金を得るために働いたり、
物を売ったり、投資をしたり、ギャンブルをしたり、
人生のすべてをお金のために費やしていると言っても過言ではありません。

しかし、本当にお金は必要なんでしょうか?
私は、決してお金に恵まれた環境に生まれ育ったわけではありませんが、
だからこそ、お金に執着してしまう時期もあり、
お金を恨んだこともありました。
そういう意味でも、人生の大半をお金に振り回されてきたとも言えます。

そんな中で、私はお金という物質の理不尽さを長年追求し続けてきました。
とにかくお金というのは人間を支配し、狂わせ、欺き倒す獣であり、
一方で人を助け、喜ばせ、心を支える代物でもあるということに気づいたのです。
例えるなら、お金は善悪の両側面を持った、人の心を映し出す鏡であるということです。

お金は、人を支配します。
それが仕事です。
世の中の多くの人たちは、お金のために働いています。
今の仕事、お金もらえなくなっても続けますか?
そんな質問をして、それでも続けるという人が何人いるでしょうか。
おそらく、ほとんどの人は仕事をやめてしまうでしょう。
なぜなら、お金がないと、食べて行けないからです。
嫌な仕事を任される時、または、余計な仕事を増やされた時、
気持ちは下がりますが、
別途手当がつくとなれば、ちょっと考えるでしょう。
「値段による」という人も多いのではないでしょうか。
もうその時点で、その人たちはお金に支配されています。
お金によって、動くか動かないかが決まる、というわけです。

お金を支払う側の立場の人が上に見られるというのも
ある意味「支配」ですね。
客だから偉い、とか社長が偉いとか、すべて勘違いです。
売る側と買う側は、取引をしている訳であって、
支払う金額に見合った物と交換しているに過ぎないのに
「お客様は神様」とか、
遠い昔に故三波春夫氏が言った一言を盲信している人が多すぎます。
(注:三波春夫氏に罪はありませんよ。)

社長はなぜ偉いか?
例えば、アイデアを活かして起業して、仕事を始めた。それは、立派です。
しかし、会社を大きくしていくためには、人の助けが必要です。
だから、経理だの営業だの色々な部署で仕事をしてもらう人を集めるわけです。
この人たちなくして会社は大きくならなかったはずです。
つまり、社員は、協力者であり、貢献者、のはずですが、
一番偉いのは、
最初にアイデアを思いついた社長ということになっています。
理不尽ですね。

また、人は、お金のために、物を盗み、人を騙し、殺します。
犯罪を犯す人というのは、
働くのが嫌な人、働くのはいいが、給料に満足していない人、
楽して大金を手に入れたい人、色々事情はあるでしょう。
とにかく、自分の経済状況に不満を持っているのは間違いなさそうです。
しかし、窃盗、強盗、詐欺、脱税、横領、恐喝、売春、
どれをとっても心が醜いですが、
そういう犯罪を平気で行う人たちの中には、
人を殺してでもお金を手に入れようとする人がいるのです。
狂っていますね。

お金が人を欺くというのは、詐欺についてももちろん言えますが、
ここで言いたいのは、政治家です。
お金と政治の問題は、ニュースでもよく取り上げられますが、
彼らは、国を背負って立つ立場であるにも関わらず、
お金への執着が途方もないです。
例えば、国会議員の人たちは、普通にもらっている給与だけでも
一般のサラリーマンの平均より4~10倍多いのに
それ以外にも領収書不要の予備支給額が100万あったり、
鉄道無料や議員年金などの手厚い特典がついています。

ここまで、過保護なのに、まだ、パーティー券や賄賂や
架空の領収書などで収入を得ようとしています。
政治家を目指す人達の中には、きっと本当に良い国作りを目指して
熱い志を持った人もいるでしょう。
しかし、一旦この手厚い保護を与えられると、
それを失うのが怖くなるのではないでしょうか。
つまり、本来の目的を見失うほどお金に魅了されてしまう。
まさにお金に欺かれてしまう代表例と言えるでしょう。

一方で、お金は人を救うことがあります。
募金、基金などがそうです。
震災などで家を失った人たちが、体育館で暮らす中、
例えば募金によって仮設住宅が建てられ、自分専用のトイレ、
シャワーが与えられれば、心が救われる思いとなるでしょう。
また、難病などで、治療のための手術費がとても高額な場合、
多くの人の寄付で命が救われることもあるでしょう。
お年玉で子供を喜ばせたり、
仕送りで生活を支えることができるのもお金です。

しかし、人を救うのは、お金がなくても本当はできるのです。
たとえば、仮設住宅建てるのに、材料を誰かが無料で供給してくれて、
誰かがボランティアで建ててくれれば完成です。
難しい手術、ブラックジャックのように無料でオペする救世主がいれば、
お金なんかいりません。(※1)
(※1ブラックジャック、普段は大金ふんだくりますが、恵まれない可哀想な子供とかには無料でオペします。)
実はお金でできる善いこと、というのはお金がなくてもできることがほとんどなのではないでしょうか。
できないとすれば、それは世の中がお金にまみれているから、ではないでしょうか。

ここで、そもそもの問題提議「お金は本当に必要か」について考えてみたいと思います。
私の結論から言いますと、お金はまったく必要ない
答えはNO, NO NO NOです。

しかし、実際は、私にもお金は必要です。
なぜなら世の中がそうなっているからです。

私独自の見解ですけど、お金というのは、神様(※2)が人間に与えた心の秤(はかり)だと思います。
(※2別記事で神はいないといっています。私の中で神は宇宙です。)

まず、お金が必要な理由について、
先にも書きましたが、それは食べるためです。
もし、毎日食べるものが自由に選べて、好きなだけ食べることができたら?
どうでしょうか。お金、要らなくないですか?
服もほしいし、車もほしい?
そうですね。
では、好きな服も、車もなんでも手に入るとしたら?
働きますか?
もうお金なんてあっても邪魔なだけです。
大抵の人は、働くのをやめるでしょう。

でも、そんなことありえない、そう思う人がほとんどだと思います。
しかし、そう思う人がほとんどだから、今の世の中はお金が必要なんです。

縄文時代にはお金なんてありませんでした。たぶん。
皆が自給自足で、物々交換などして、協力し合って生きていたと思います。

そう、不可能ではないんです。

でも、食べ物にしても、服にしても、車にしても、
誰かが生産しないと手に入れることはできませんよね。

だから皆で協力なんです。
「そんな、ただで誰が作業すんねん」
とか言う人は、きっとお金に支配されるタイプの人なんです。

ここからは、私の妄想です。

例えば、国が、もしくは、全世界が、
「もう、明日から紙幣は発行しません。」
「お金の価値は、もう明日からゼロです。」
「食べたい人は自分らでどうにかしてください。」
「ただし、勝手に独自のお金を流通させるのはなしです。」
みたいなことになったとします。

きっと誰かが立ち上がります。
まず、食べ物扱っている業界、農業、漁業、畜産業など
あと、水は不可欠ですね。水道局の人たち
この人たちは自分たちも生きないと行けないので、とにかく仕事を続けるでしょう。

各食物系の職業の人達は、お互いに協力を始めると思います。
特に水は大事なので、水道屋と食物系の連携は早くに生まれるでしょう。
水道屋も水だけでは生きていけないし、農家の人は水がないと米も炊けません。
火を使うとなれば電気、ガス屋さんなんかも仲間になるかもしれませんね。

肝心なのは、この後です。
水、食物系以外の職業の人たち
自分たちは何も生み出していないので、食べるためには、先の水、食物系の人たちに頼るか、
自分らで狩りや釣りにでも出かける必要があります。

さて、ここで農家や漁業の人たちの立場になってみましょう。
自分たちの食料は確保できました。
しかし、量的にはまだまだ余っています。
果たして、お金の価値がなくなって食べることができなくなり、困っている多くの人々を彼らは見捨てるでしょうか?
私は、日本人なら、絶対そんな事はしない、とそう思っています。
海外の人々は、わかりませんが、でもきっと助け合う人たちはたくさんいると思います。

さあ、協力がなりたちました。
では、水、食系以外の人たちは何で恩返しすれば良いのでしょうか。
ここで、衣食住の衣類や、建築、次に車、バイク、鉄道などの移動手段。
携帯電話や郵便などの通信手段、物を運ぶ運送業などなど
人々に必要な物、重宝されるものが順に精査され、お互い協力しあうようになるでしょう。

では、あとに残る、生きていく上では、それほど必要とされない業種の職員やスタッフは、見殺しにされるのでしょうか?

今までお金で動いていた社会が、急にお金なしになって、
そんなすぐに混乱が落ち着くとは思いませんが、
良心のある人なら、絶対に皆が生きていける方法を
文字通り必死で模索するはずです。

中には、ずるをして、食べ物だけ得ようとする輩も出てくるかもしれません。
でも、全世界の全人類がこぞって「働かない」とは言わないと、私は信じています。

では、ここで、もう一段階妄想を膨らませます。
この、お金に価値がなくなった世界において、
神(宇宙)のいたずらで、「全人類」が、思いやりに満ち溢れた人格になったらどうでしょう。

きっとお互いがお互いを思いやって、皆が苦しまないよう、
全員に食べ物がめぐり、自分だけが得をするようなことはせず、
平等な立場で協力しあい、土地の奪い合い、戦争、犯罪がなくなり、
この上ない平和な世界が訪れるでしょう。

こんな話があります。
天国と地獄で食事の時間、どちらも大きく長いテーブルに皆が向かい合って座っています。
みんなの前に食事が運ばれてきました。
ただ、箸が長すぎます。
下の方を持てば、箸が重くて、食べ物をつかむのが難しく、
上の方を持てば、軽いですが、食べ物を自分の口に運ぶのに苦労し、
とても食べにくいです。
ここで、地獄の人たちは、箸の上の方を持ち、食べ物に食らいつこうと
必死にもがきました。
天国の人たちは、
向かいの席の食事を、自分の箸でお互いに相手の口に運びました。

世の中持ちつ持たれつ
結論は、人の心次第ということになります。
全人類の心が澄んでいれば、お金はいりません。
ルールも法律もいりません。
そうでないから、お金はなくせないのか。
お金があるから、そうでないのか、それはわかりません。
しかし、縄文時代は、本当に平和な時代であったと聞きます。

物が豊かになって、人は代わりに心を奪われたのではないか、とそう思う今日このごろです。

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