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学校・・・行きたくないよね
私にとっては遠い昔の話ではありますが、『学校』は行きたくないことがほとんどでした(笑)
そんな私、今は息子をもって学校に送り出す毎日です。
いつも息子を、集団登校の集合場所まで一緒に歩いて送りに行きます。
その時に、他の班のあるお子さんとお母さんのことがいつも気になっていました。
背の小さな1年生の女の子。
お母さんが手をつないで、ずっと一緒に歩いて行きます。
春の頃はあまり気にならなかったんだけれど、親子で集団登校する姿が結構多くて。
うちでは朝時間がなくて、たまに車で送っていってしまうこともあるのですが、そうすると学校近くまでず~っと歩いていくその親子が目に入ります。
“やっぱり学校行きたくないんだろうな~”
“いつも学校まで一緒に歩くのか~”
そして、お母さんの表情がいつも曇っているように見えました。
そう思いながら、ず~っと時間は過ぎていったのですが・・・
11月のある日。
息子を送り集合場所から歩いて帰る時に、その親子に鉢合わせました。
途中まで一緒に歩いて登校していたのに、集団登校の列から外れて自宅へ帰ろうとしているところとでした。
その親子が前を歩いています。
子どもの足に合わせて歩くから、ちょっとゆっくり・・・
私は自然と横を抜かして歩く形になりました。
ちょうど横を通り過ぎようとした時・・・
「寒いけどさ~・・・」
お母さんが、何か女の子に話しかけています。
お母さんはやっぱり困った表情。
声がしてきたことをきっかけに、何だか、自然とその親子に話しかけている自分がいました。
「(一度家に戻って)車で送って行くんですか?」と声をかけてみた。
すると
「はい・・・」
と、お母さんの返事。
小さな身体に、大きなランドセルを背負った女の子と目が合った。
小さい頃の私を思い出す。
身体の大きな子から比べたら、登校するだけでも更に重労働なのだ。
「寒いよね~、学校行きたくないよね」
と声をかけると、そのままの表情。
ちょっと戸惑いつつ下の方を向いていた。
「私も学校行きたくなかったから、気持ちわかる~と思って」
「お母さんは、そういうのなかったですか?」
と尋ねてみた。
「ありますけど・・・、やっぱりねぇ・・・」
そうだよね。
きっとお母さんだって、娘さんの気持ちをわかってあげたいと思いつつも、毎日のことだし、学校に行かなくていいとか毎日車で送迎すればいいとか、簡単に割り切れない気持ちってあるよね・・・と思った。
「そうですよね」
女の子に、笑顔で話しかけてみた。
「今日金曜日だから、今日行ったら明日はお休みだね!」
どう思ったかな?
絶対に学校に行くべきとは思わないし、ただ、その子の“行きたくない”や“寒い”とか“歩きたくない”とかに共感がしたかった。
あるいは、“ただお母さんと一緒にいたい”とかね。
その上で、お休みの日にも希望をもってほしくて。
ちょうど、分かれ道になったので
「じゃあ、どうも~」
とお辞儀をしつつ、それぞれの道を歩いて家に戻った。
あれれ⁇
私は何だかちょっと涙ぐんでいた。
もしかしたら、あの子に声をかけながら、小さい頃の自分を慰めていたのかもしれない。
あなたの気持ち、わかるよって・・・
あの後、あの子はきっとお母さんに送られて学校には行っただろう。
数日後、その女の子はお母さんに途中まで付き添ってもらっていたが、家の近くでちゃんと別れて歩いて登校していた。
お母さんも見送りながらニコニコと笑っていた。
その姿を見て、何だか少し心が温まった。
「学校に行きたくない」と泣いていた、私の小学生時代の思い出・・・。
全ては記憶していないのですが、月曜日になると「お腹が痛い」と言って休もうとしていたらしい。
だって、本当に痛くなるんだもん。
ついでに、母が学校まで車で送って行ったのに、結局歩いて家に帰ってきてしまったこともあった(>_<)
なんという手間のかかる娘やねん!!
私自身は全く記憶にないのだが、母親いわく
「あんたが○○ちゃん(友達)のお母さんと話した後から、“学校行きたくない”ってピタッと言わなくなったんだよね~」
「何て言われたのかはわからないんだけど・・・」
「別に頼んではいないんだけどさ~」
と不思議がっていた。
学校に行きたくないとばかり言う娘に困り果てたのか、たまたまなのか・・・母が家を留守にしたタイミングで、近所の友達と私が遊んでいた時にそのお母さんに何か言われたのか・・・
母の記憶も曖昧で、真相はよくわからないのだが、その時から私は何か変わったらしい。
私達の意識や価値観は、誰かの何気ない言葉で出来上がっているのかもしれない。
あるいは、衝撃的すぎて無意識にその記憶を隠しているだけなのか⁇
学校を“めっちゃ楽しいところ!”と思ったことはその後もあんまりないのだけれど、完全なる『不登校児』とはならずに済んだのは、その時の出来事があったからなのかもしれない。
(ひどいいじめに合っている、その子の特性上既存の学校システムに全く合うところがない・・・とかなら、全然休んでいいとも思う)
私が声をかけたあの子も、これからどうなるのかはわからないし、『絶対に学校に行くことが正解』とかは思わないんだけれど、少なくとも不安や困り感を抱えていそうだったお母さんの表情は軽くなり、いろんな人の何気ない言動で、世界がつながり合っているのを感じた出来事だった。
どうせなら、周りに良い影響を与えられる人間でいたいな・・・
特別な何かができるとかではないけど。
そう思いながら、普通の日常を過ごしている。
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