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🔶私の好きな奈良:室生寺 女人高野 多くの国宝を有する山峡の名刹
室生寺を訪れたことはありますか?
大和高原と宇陀山地に囲まれた山峡の地にあり、最寄りの近鉄室生口大野駅から7km。駅からのバスは蛇行する室生川の流れに沿って進みますが、途中には集落がほぼありません。
この先に多くの国宝を有する巨大寺院が本当にあるのか?と不安になりながら、途中の停留所には殆ど停まることなく進むと、室生寺前のバス停に到着してほっとします。門前の宿やみやげ物店が、静かに並んでいます。
昔は女人禁制であった高野山に対し女人高野と呼ばれていました。奥まった山峡の地でありながら、昔は多くの参拝者が長い時間をかけ徒歩で訪れていました。
この寺の信仰はそもそも室生川水源近くの「龍穴」に対する水神信仰から起こっており、奥深い自然そのものが信仰の対象だったので、長旅であってもここまで来る必要があったわけです。
女性の信仰を集めたというだけでなく、現在まで写真家や画家を含め、多くの人に愛され続けている室生寺。
今回はその魅力に迫ってみたいと思います。
創建と歴史
室生川上流の水源近くの「龍穴」は、古くから龍神の住み家として信仰を集めており、室生寺の創建より早く「室生龍穴神社」が開かれていました。室生寺のホームページによると、天武天皇の勅願により、修験道の祖である役行者(えんのぎょうじゃ、役小角)が寺を建立したと伝えられています。
奈良時代末、山部親王(後の桓武天皇)の病気平癒を祈願して興福寺の賢璟(けんけい)が勅命を受けて開き、平安遷都まもなく弟子の修円が堂塔伽藍を建立しました。後に空海の弟子で修圓とも親交の深い真泰(しんたい)が真言密教を携え入山した様です。
室生寺はながく興福寺末寺でしたが、江戸時代、5代将軍綱吉および母・桂昌院が帰依していた僧・隆光が、興福寺に室生寺の分離を要求し、護国寺末の真言寺院となりました。桂昌院が寄進した2千両にて堂塔の修理が進められ、1698年に独立して真言宗室生寺派の大本山寺院となりました。
境内
室生川にかかる太鼓橋をわたるとタイトル写真にある表門があり、室生川沿いに東へ向かい、受付を通って寶物殿を過ぎると、1965年再建の仁王門があります。中に入るとすぐ左手に梵字の「ヴァン」の形をした池があります。「ヴァン」は密教の本尊である大日如来を表しています。
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その右横には、北へと続く自然石積みの幅広い登り石段の参道「鎧坂」があります。石段の両脇には低木の石楠花が植えられ、それらを見守るように高木の枝々が茂っています。登り始めると石段の頂きに金堂の屋根が見え、室生寺の表表紙ともいえる美しい景観です。
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奈良のいろいろなところを訪れた記録です。あまり馴染みのない人が読んでも魅力が伝わる様、わかりやすく紹介できればと思います。
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