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🔶私の好きな奈良 アーカイブ① ~2024/8/11

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奈良のいろいろなところを訪れた記録です。あまり馴染みのない人が読んでも魅力が伝わる様、わかりやすく紹介できればと思います。
「🔶私の好きな奈良」シリーズは、月3本ぐらいのペースで新作を公開しています。公開してしばらくは無料…
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2024年6月の記事一覧

🔶私の好きな奈良:弱者救済に尽力した僧 忍性 聖徳太子信仰から奈良と鎌倉への分骨まで

ほぼ完全な形で残る鎌倉時代の石造五輪塔群 タイトル写真は、奈良県大和郡山市にある、石造五輪塔群「鎌倉墓」です。 インドが発祥と言われる五輪塔ですが、日本では平安時代以降、供養塔として考案され広まったと言われています。 この鎌倉墓は8基の五輪塔から成りますが、一部に永仁五年(1297年)の銘が刻まれています。中世の五輪塔がこれほど完全な形で残っている例は珍しく、国の重要文化財に指定されています。 1982年に行われた修理事業の際、第一塔の内部からは鎌倉時代を代表する高僧

🔶私の好きな奈良:夏の村屋神社に壬申の乱を想う

村屋神社ってどういう神社? 奈良県田原本町にあるこの村屋神社、もしかすると地元の方以外にはあまり知られていないかもしれません。 平安時代、律令の細則をまとめた法典である「延喜式」内に、官社として指定されている格式のある神社で、正式には、村屋坐弥冨都比売神社(むらやにいますみふつひめじんじゃ)です。主祭神は弥冨都比売(みふつひめ=三穂津姫命、みほつひめ)で、大神神社の祭神である大物主命の妃神にあたるため、大神神社の別宮とも言われ、両方お参りすることでご利益が増すとされます。

🔶私の好きな奈良:弘仁寺 明星が隕ちた地に空海が建立

弘仁寺の弘仁とは 平安時代初期、810年から824年の年号が弘仁です。 天皇でいうと、嵯峨天皇、淳和天皇の時代ですから、奈良から都が平安京に移った桓武天皇から、平城京に都を戻そうと画策した平城天皇の代を経て、その次の時代ということになります。 弘仁という名を良く聞くのは、「弘仁・貞観文化」です。この時代は密教の影響が強まり神仏習合の動きが強まったことによって、独特の仏教文化が栄えました。仏の世界を描いた曼荼羅(まんだら)が発達し、この頃に造られた仏像「弘仁仏」は、前代に流

🔶私の好きな奈良:王龍寺 静謐な森で歴史を見つめた古刹

王龍寺。ご存じですか? 奈良市西部にあり、住宅地やゴルフ場に近接しています。 地元の方にはお馴染みかも知れませんが、私は最近まで存在を知りませんでした。 奈良には多くの古刹があります。 東大寺、法隆寺、薬師寺、唐招提寺、興福寺… ほかにも、長谷寺、當麻寺、朝護孫子寺、室生寺など、多くの観光客が訪れる有名なお寺が目白押しです。 そんな中、王龍寺というのは、少しマイナーな存在なのかも知れません。 しかしながら、初めて訪れた時、私にとって初めての感覚に包まれました。 なんだ

🔶私の好きな奈良:空海の遺した足跡

奈良国立博物館で、2024年4月13日から6月9日まで、生誕1250年記念特別展をやっています。 私も行ってきました。 偉人だとは習っていたけれど… 小学校から教科書に出てくる歴史上の偉人で、「弘法も筆の誤り」の言葉にあるように、弘法大師として知られています。ところが、弘法大師というのは諡号(生前の業績に対し死後に与えられる名)の様で、筆を誤った時は「弘法」ではなかったということでしょうか。 まあそんなことは枝葉末節ですが、つまりは空海のどんなところが偉人と評される理由な