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一首評の練習(4) - 白昼に覚めたる眼(まなこ)ひらきつつ舟の骨格を見わたすごとし
白昼に覚めたる眼(まなこ)ひらきつつ舟の骨格を見わたすごとし
横山未来子『花の線画』(2007)
歌の内容は昼に目が覚めたと言うことと、舟の骨格を見渡すように目を開いた、と言うことだけで何を見たと言うのでもない。つまり寝起きの状態を詠んだ歌ということだ。
昼寝をしていて目が覚めた、寝起きで状況がすぐに分からないという目覚めた一瞬の戸惑いは誰しも経験があると思う。だが作者は「白昼」と言う言葉で不安感や不条理感を持ち込む。「白昼」に「目が覚める」と言う言葉はあまり結びつけない。普通は白昼によからぬことが起きるのである。うたた寝などしてしまって目が覚めた時の戸惑いが「白昼に」とすることで一気に増幅される。目が覚めて、「あれ?自分はどこにいるんだろう、何をしてたんだろう」と周りを見渡す仕草を今度は「舟の骨格を見わたすごとし」というのだ。ここにも作者はもう一つの仕掛けを持ち込む。舟の骨格は普通見えないし、「見わたす」という以上、通常我々がイメージする舟の大きさの物を眺めているわけだ。これが目覚めて周りを見回す時の違和感をあらわそうと作者が持ち込んだ景色だ。私が読んだように、昼寝?から覚めた時の不穏な感覚を「白昼」という不安を感じさせる言葉と非現実的な光景の組み合わせで表現しようとしたのなら見事に成功していると思う。
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「日々のクオリア」の評者と読みは大きく違わないように思う。私は「白昼」に不穏な感覚を持つので、歌全体は不穏な感覚を詠もうとしているように思うが、評者のいうように浮遊感と言ったもっと感覚的なものであるのかも知れない。そのあたりの同じ言葉に対する個人の中での含意の範囲の違いが読みの個人差を生み、それが面白いところでもあるのだろう。作者から見れば、どう取ってもらってもよいのかな、そのあたりは短歌に世界でどう言われているのか。
(練習の題材として過去に砂子屋書房のWEBサイトに掲載されている「日々のクオリア」で取り上げている短歌を使わせていただいた。「日々のクオリア」自体が一首評の記事だが書く前には読まぬようにしている。
誰がどんな歌を詠んでいるのか、初学者にとって歌集を買うのに大変に参考になる記事である)