
Photo by
m_h246
詠むための一首評:ビーツのやうなこころを抱へ少女たち岸辺のひかりを連写してゆく/金田光世
ビーツのやうなこころを抱へ少女たち岸辺のひかりを連写してゆく
金田光世『遠浅の空』
最初の印象は幻想的な風景ということだ。まるでソフトフォーカスのカメラの向こうで赤い薄衣をまとった少女たちが笑いながら踊りながら、岸辺を散歩しているようなイメージが浮かぶ。改めて読むと「ビーツのようなこころを抱えた少女」という表現に作者が何を込めたのか、はっきりとはわからない。「ビーツ」とは鮮やかな赤色のカブのような大根のような野菜のことだろうが、ビーツの瑞々しい赤色は少女の純真さのようでもあり、赤い血を流す傷ついた心のようでもある。続く「岸辺のひかりを連写」は字面通りには意味はとれるが、少女たちが写真を撮っているというような現実の風景ではあるまい。「ひかりを連写する」楽しそうに光と戯れる少女たちの比喩ともとれる。そうなると歌全体はビーツの赤とか岸辺のひかりといった印象的な映像を持ち込みつつ、一方で意味や情景ははっきりしない、という分からなさも持ち込んでいる。それによって幻想性を強化する仕掛けになっている。
個人的には上の句にも下の句にもわからない要素があって、結局はわからないけれど幻想的で綺麗な情景ですね、で終わってしまうのはうまく味わえない。
(練習の題材として過去に砂子屋書房のWEBサイトに掲載されている「日々のクオリア」で取り上げている短歌を使わせていただいた。日々のクオリア自体が一首評の記事だが書く前には読まぬようにしている。誰がどんな歌を詠んでいるのか、初学者にとって歌集を買うのに大変に参考になる記事である)