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一首評の練習(7) 読みと詠みのために- 木漏れ日がまだらに照らす人の顔凹凸はもうさびしさに見ゆ
木漏れ日がまだらに照らす人の顔凹凸はもうさびしさに見ゆ
棚木恒寿『天の腕』(2006)
木漏れ日が顔にまだらに陰を作って照らす時、その顔の凹凸は木漏れ日の陰を強調するに違いない。それが寂しげに見えた、あるいはその光景自体が「さびしい」と言う心情を化体したものと言っているのか。
作中主体は公園のようなところで散策しているのかベンチに座って休憩しているのだろう。「人」は一緒にいる誰かなのか、他人の様子を観察してのことなのかははっきりしないが、木漏れ日が人の顔の凹凸で作る陰が人の運命的な「さびしさ」や孤独を象徴するものに見えた、と取るか、隣にいる近しい人の横顔を眺めて、これからの二人の関係についてさびしい気持ちを持っているように見えたと取るか。いずれであっても、ここでは木漏れ日の陰と顔の凹凸を使ってさびしいと言う気持ちを呼び込んでいるところにいいなあと思う。
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「日々のクオリア」の評者はまだらに照らす木漏れ日の「光」と読んでいた。照らすだからそれが正しいだろう。私は木漏れ日の陰の方が気になった。また評者は凹凸を不気味ととらえた。私は単に顔面の凹凸と読んだ。まだまだ基本的なところで日本語が読めていないなと感じた。
また、今後は作歌のヒントになった部分も少しづつ書いていこうと思う。
(練習の題材として過去に砂子屋書房のWEBサイトに掲載されている「日々のクオリア」で取り上げている短歌を使わせていただいた。日々のクオリア自体が一首評の記事だが書く前には読まぬようにしている。誰がどんな歌を詠んでいるのか、初学者にとって歌集を買うのに大変に参考になる記事である)