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吹奏楽との出会い
以前投稿した記事、「初めてドラムを叩いた時のこと」の中で、
なぜ吹奏楽部に入ったのかということも、そのうち投稿したいと書いたので今日はそのことについて書いてみたいと思います。
わたしは、じつは、楽器を演奏したくて、自分から吹奏楽部に入ったのではないのでした。友達に誘われて、断れなかったので、いったん入部してみただけだったのです。
美術部で活動しているのが楽しかったので、戻りたかったのです。でも、友達がけっこう強引だったんで笑、
「とりあえず入部して、楽器が演奏できないというのを見てもらって、それからまた美術部に戻ろう」そう考えていました。なぜなら、わたしはピアノを習っていたわけでもないし、もちろん楽譜も読めないし、とにかく楽器なんて弾けないのです。吹奏楽部なんて、まったくまったく別世界だったのでした。
が、
あれよあれよという間に?打楽器パートを担当することになり、(確か、楽譜読めない、ピアノ習っていない、と言ったら、ソッコー、打楽器パートにならされました…。今では打楽器がそんな単純な楽器ではないというのも身に染みていますが)
そんなこんなで毎日、基礎練習に励んでいる自分がいました。心の中は、「美術部に戻りたい……さて、どうしたものか…」そんな思いで、ちびまる子ちゃんでいえば、顔にタテ線状態でした。
美術部をやめたことを母に報告したら、「だったら、吹奏楽部でちゃんとがんばんなさい」的なことを言われました。母にしたら、「この子は、美術部に入ったって言ってたのに、急に吹奏楽部に変えるなんて、何を部活動をとっかえひっかえしてるんだろう、まったく」と思ったのではないかと。
実際には、とっかえひっかえなどしていなく、美術部から吹奏楽部に一度変更した、というだけなんですけどね。でもわたしも母になった今、母の気持ちも少しわかる……。で、ますます吹奏楽部をやめて、美術部に戻りずらくなってしまったのです…。
練習も、基礎練習ばかりではなく、だんだん難しくなってきて、ある時、「ロール奏法」というのを教えてもらい、習得に励むようになりました。よくある、「では、発表します!」的な場面の効果音で、ザーーーっと鳴っている音。あれは、小太鼓のロールというものなのです。
が、
ここで、難しくて全くできない、という事態に直面。ほらね、やっぱりわたしには楽器なんて無理なんだよ、全然出来ないもん…あー毎日つらい。これはやっぱり辞めるしかない。辞めよう。そして美術部に戻るんだ。
そう思ったものの、辞めるということは顧問の先生に絶対言わなきゃいけないのだった。友達の誘いも断れないわたしに、それがまたハードルが高かった。しかも、「打楽器のメンバー増えた!うれしい~、よかったー!」と先生に言われたりもしていたので、そのことを思うと、やっぱり辞められなかったのでした。
結局、ずっと吹奏楽部のままで、そのうちドラムセットを演奏するようにもなりました。この時ぐらいから、「これは楽しい」とはっきり思うようになり、時折、音楽室をのぞきに来た男子に「似合わねぇ…」などと言われながらも打楽器にも吹奏楽部にもハマってゆき、一応真面目だったので部長にもなってしまい、先生から渡された全国大会の演奏を集めたカセットテープを、部活が終わって帰宅してからも夜な夜な聴き、「どうしたらもっと良い演奏ができるんだろう……」とロダンの考える人状態になったりしていました。そのカセットテープには、リムスキー・コルサコフの「シェラザード」やラヴェルの「ダフニスとクロエ」の超絶上手い演奏が入っており、「同じ中学生とはとても思えない…」と思ったと同時に、すんごく憧れて、何度も何度も聴きました。
ところで、中学校に入学した時、吹奏楽部の歓迎演奏を聴いたことがありました。この時は、まさか吹奏楽部に入るなどとは1ミリも思っておらず、ただただ、その演奏に聴き入っていました。とくに、鍵盤打楽器の音に魅了されました。生演奏ってこんなにかっこいいものなんだなー!!すごい!!そして思いました。うわぁやっぱ別世界だなぁと。
……なのに、大人になってからも吹奏楽を続け、オーケストラにも10年ほど所属したり、一度は音楽の道に進もうと決意し、打楽器の先生に師事したり……人生って不思議すぎます。
……あの時、友達が吹奏楽部に誘ってくれなかったら……と思うと、かなりこわいです。あれから30年くらい経ちますが、吹奏楽部に入ってよかった……と心底思います。