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昭和男と実家じまい4

この投稿は、実際の実家じまいについて綴っています。

<以前の投稿>
昭和男と実家じまい1
昭和男と実家じまい2
昭和男と実家じまい3

◉誰も出ない電話

実家に行ってから数日後、ダスキンとの日程調整も終わり、日程を伝える為に、父に電話をかけた。
父は携帯を持っているが、本人は「俺から電話をかける専用だ」と豪語して、携帯が鳴ってもほとんど出ない。
そのため、私は家の電話にかけた。
しかし、電話をしても誰も出ない。
普段から、電話に出ない人なので、まあ仕方ないかと思った。
それに、「もしかして、出かけているのかな?」と思い、次の日にもう一度電話をかけた。
その次の日も、その次の日も電話をした。
家に電話してもつながらないから、出ないことを分かりつつ父の携帯にもかけた。
外出しないであろう時間帯を見計らって、早朝にも電話をした。これなら出てくれるかもしれない。
祈る様な気持ちだったが、やっぱり出てくれない。
そして、今ちょうど父のために煮ている、目の前のカレー鍋をみる。
この間、カレーが食べたいと言っていたから、早速にカレーを作っていた。
大量に作って、凍らして実家に持っていこうと考えていた。
カレーと家族の食事を作りながら、1時間おきに電話をした。
でも、出ない。
ここまで来ると、心配になった。
日曜日の夕方3半時頃
「私、今から実家に行ってくる!」
と夫と息子に言った。
「ちょっと待って。今から行っても帰るのが遅くなる。先ずは弟さんに電話して、確かめてもらった方がいい」
夫に引き止められた。
確かに、私が今から行くより、弟の方が断然近い。
早速に弟に電話をするも、こちらも電話に出ない。
もしかしたら、仕事なのかもしれない。そう思って、メッセージを送った。
4日ほど前から父に電話しているが、出てくれないこと。
心配だから、様子を見に行って欲しいことを伝えた。
何度か弟にも父にも電話したが、その日はどちらにも電話が繋がらなかった。

次の日の朝、弟から電話があった。
「もしかして、旅行に行っているってことないか?何か、広島方面に行きたいと以前言っていた記憶があるんやけど」
そんなの、私は聞いてなかったが、夫に確かめると「ああ、そんなこと言っていたこともあったな」と返ってきた。
「でも、旅行に行くにしても、出かけるなら、必ず私に連絡が来るよ」
何かあった時の為にと、遠方に出かける時は、必ず伝えてくれていた。
「とにかく、仕事の調整をして、実家に行ってみるわ」
「私は、電話かけても、お父さん出ないから、ダメもとでe-mailにもメッセージ送ってみる」
携帯のメッセージなどは使えないが、父はパソコンを使っていたのでe-mailアドレスは持っていた。
Amazonで頻繁に本を購入していたから、もしかしてe-mailなら見てくれるかもしれないと思った。

『お父さん、4日ほど前から電話してもつながらないので、心配しています。
もしかして、旅行へ行っていますか?
このメールを読んだら、連絡をください』

嫌な予感を頭から吹き飛ばす様にして、クリックを押してメールを送信した。

その後、弟から電話があった。
実家の鍵がどれか分からないという内容だった。
お盆と正月に少しだけ実家に顔を出している弟。
家の鍵を使って、実家に入った経験がないのだろう。
私は、実家の鍵を写メして送った。
送った写真で鍵が特定できたのか、お礼のメッセージが届いた。

◉電車に乗る5分前

弟に実家を見に行ってもらえるなら大丈夫だ、そう、自分に言い聞かせる様にして、私は仕事に向かっていた。
少し余裕を持って家を出たので、駅へ向かってゆっくりと歩いていた。
その時、電話がなった。
弟からだ。
「もしもし?」
電話の先から、少し暗い弟の声がした。
「父さん、風呂場でもう亡くなってる」
「えっ!?」
バクバクと心臓が鳴り出して、スマホを震える様に握り直した。こうでもしないと、スマホを落としそうだった。
「落ち着け、慌てたらあかん。こういう時は二次被害が起きやすい。今、警察と救急車に連絡したから、こっちからの連絡を待ってくれ。実家にはまだ来なくてもいいから」

その後は、何をどうしたのか分からないまま、私は駅へと歩き、電車に乗って仕事へ向かっていた。
弟から電話が掛かってきたのは、電車に乗る正に5分ほど前だった。
私はとあるインターナショナルスクールで、書道のクラスを持っていた。
急にクラスを取りやめる訳にはいかない。一緒にクラス運営している相方の先生にも迷惑がかかるし、急に代行の先生を頼める状況でもなかった。

私は学校へ着くと、私より一回りぐらい年上の相方の先生に、父の突然の死を告げた。
ここに居て大丈夫?と心配そうに言われたが、弟には詳しいことが分かるまでは、来るなと言われている。
通常の様子ではないかもしれないが、ちゃんとクラスはするからと、涙を引っ込めて言った。
クラスは何事もなかった様に進められた。
自分の頭から何もかも追い出して、クラスをした。
子供達が目の前で筆を握っている。よかった、ちゃんと出来る。大丈夫だ。

帰り際、相方の先生にポンと肩をたたかれて「これから大変だろうけど、頑張って」と言われた。その声が優しくて、フッと涙腺が緩みそうになったが、堪えた。
まだ、泣く時じゃない。
まだ、様子は分からない。弟から連絡が来ていない。

夕方になって、弟から連絡が来た。
警察が来て、事件性があるかどうか、家探しがあったので、ここまで時間がかかったと聞いた。事件性はないと概ね判断されて、弟もようやく動ける状況になった。
続いて、死因を特定するために、解剖が行われるとの言葉に驚いた。
解剖……。
「俺、後は洗面所と風呂を片付けて掃除してから帰るわ」
「掃除?」
「そのまま倒れて、放置状態になっていたし、しょんべんや何やらで、あたりが酷い状態になってるから」
想像も出来ない状況に絶句した。死後は筋肉が緩み、排泄物が出る事を聞いたことがある。
そして、涙を抑えながら弟に言う。
「ごめんね、あんた一人で対応させて。大変だったよね」
「見に来たのが、俺で良かったと思うよ。姉さんだったら、耐えられなかったと思う。
多分、父さん、風呂に入っていて何かあったんだろうな。やばいと思って、外に出ようとして、そこで倒れたみたいだ。ずっとシャワーが流れっぱなしで、この数日間、体にお湯がかかりっぱなしだったから、遺体もひどい状態だ。鼻ももげていたしな」
弟の言葉に、さらに絶句した。
「今後の通夜や葬儀は、解剖が終わってからだから、また予定が決まったら連絡する」
淡々と電話口から聞こえる弟の言葉に、ただ「うん、うん、わかった」と告げているだけの私。
何が、何だか、頭と心の処理が追いつかなかった。
つい1週間ほど前に、ペロッとオムソバを完食していた父だったのに。
私は、ただただ、帰り道をとぼとぼと帰って、家に着いた。
「お母さん、お帰り」
小学校から先に帰っていた息子にポツリと言った。
「おじいちゃんね、亡くなった」
「え……、どうして?」
息子も訳が分からないという顔をしている。
「どうしてだろうね」
息子にどう言っていいか分からなくて、その日、初めて泣いた。
息子も泣いている。一緒に二人で泣いた。
泣いていてもやっぱり、生活をしなければならい。
父が死んだ日も、私は、ただ、目の前の生活を進めていた。
子供の晩ご飯を用意し、お風呂をかわし、寝かしつける。明日の用意をする。
この時、夫は東京に出張していて、父のことを連絡して急いで戻ってきてくれると言ってくれた。

母が亡くなってから、一回忌を待たずに、父は逝ってしまった。
検死の結果、父が亡くなった日は2022年10月10日ごろと言われた。
私が父の家に行った、わずか4日後、とわかった。
一人で亡くなった父。一人で死なせてしまったと、思った。
どうして、こんなにも早くに逝ってしまったのか。
ある人は、お父さんは寂しかったんじゃないかと言う。
弟は、片寄った食事をして栄養状態が悪かったのではないか、自業自得の所もあると言う。
私は、お父さんにもっと寄り添ってあげることは出来なかったのか、もっと注意して見てあげることは出来なかったのか、ただただ、この時、自分を責めた。

つづき> 昭和男と実家じまい5


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