南方熊楠の宇宙
博物学者であり生物学者であり 民俗学者なんていう
トリプルな経歴の 江戸末期生まれの人物
南方熊楠の記念館を訪れた
その日は父親の命日
自分の人生が大きくシフトしていく
スタートでもある日
自然公園の一角にあり
人がわんさか来る施設では無いので
静かに観るつもりだったが
元気すぎる小学生の団体とタイミングが被ってしまった
「…う…集中、集中」
無理くり作った瞑想状態で見学
主要な展示物はワンフロアのみ
さらっと眺めるなら30分もあれば充分かな、な量だけれど
自筆の文書やイラスト、論文等
ひとつひとつの展示物の情報が濃い
熊楠の幼少期に始まり
アメリカやイギリスへの海外遊学時の軌跡
帰国後の活動や論文
生涯をかけて研究していたもののひとつ
粘菌類についての解説等
じっくり見進めていると
いつの間にかフロアにいるのは
自分だけになっていた
そして
後半に展示されていた ひとつの書き物に目が止まる
「十二支考 腹稿」
覚書?メモ? なんだかわからないが
なんとなく気になってしばらくじっと見ていた
何書いてるかは全く判読不明だったが エネルギーというか
全体の文字の流動性に なぜか宇宙を感じていた
その日受け取った情報は散らかりまくったまま
彼自身の発した言葉を
最後にスマホのメモに書き写す
思ったより時間をかけ過ぎて
帰りのバスを逃してしまったので
30分ちょっとの道のりを歩いて帰る
途中、行きのバスで目に留まって気になっていた
古い神社にお参り
参拝者は誰も居ない
蝉の鳴き声だけが空間にこだまする
参拝を終えて鳥居を抜けると
来た道とは反対側に参道が続いている
「うーん、全然知らない所に出たらどうしようか」
慣れない土地で暑さに耐えながら歩いている身には
かなりの賭けだったが
反対側に伸びる参道を進むことにした
生い茂った木々で薄暗くなっている
参道を恐る恐る抜けると
突然目の前に眩しい白良浜が広がってきた
「あ、ここに出てくるのか、。」
何だか
あの世からこの世に引き戻されたような
妙な感覚に包まれた
気になって書き写してきた熊楠の言葉
「世界の因果律(すじみち)はお互いに交錯し関連しあい思いもよらない結果を生み出し続けている」
「すじみちの重なりの中には人間にとって物事を視界するための重要な地点「萃点」がある」
因みに「萃点」とは
さまざまな物ごとの"ことわり"が通過し 交差する地点
という意味の 南方熊楠の造語らしい
帰って部屋でひとり
この二つの推察を何度も読み返していると
「十二支考 腹稿」から受けたエネルギーの
出処を発見した気がして何かがストンと腑に落ちた
ここで言う「萃点」に降り立ったのかも
表現が難しいけど
散らばっていたものの繋がりが明確になって
一気にクリアになる感じ
博物学や生物学や民俗学も
一見かけ離れてばらばらのようだけれど
熊楠にとってその繋がりは明確だったのかもしれない
生命や宇宙の"ことわり"探求する手段として。