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あの時、なにができたろう?


「気の存在を信じていない人が教えている」
鍼灸学校に入学していちばん驚いたことだ。授業中にはっきりと「気で病気なんか治せるわけがない」と言いきる先生がいる。一人や二人じゃない。そもそも気について話せるムードではない。

伝統東洋医療を学ぶために入学した私には衝撃の1年だった。もちろん東洋医学概論や経穴経絡の授業はあるが、コマ数は少なく、勉強する多くが解剖生理、病理学、運動機能に関するもの、……つまり西洋医学の知識を暗記する日々。
入学する前から「東洋医学を学べない」と人づてに聞いてはいたが、ここまで西洋色とは思わなかった。が、確かに直感や、感覚を総動員して治療を行う東洋医学は……アートの領域に近い。学校で教えるには難し過ぎるし、教えられる先生も少ないんだろう。

学校で鍼の打ち方を習い、1年の後半から「家族になら安全を考慮しながら刺鍼してもよい」と言われた。それで、昨年から家族に鍼を打つようになった。
20代の娘は逃げ回った。絶対にイヤだと言う。仕方ない。
夫は協力的だった。

私は師について独学で鍼を学んでいる。学校では基礎的な鍼の打ち方を学び、その先の応用は常に師に報告して、診断が正しかったかどうかを確認し、送ってもらった資料や本を読みながら勉強をしている。自分が行きたい道は自分で拓いていくしかない。長年生きてきたのでそれくらいはわかる。

夫はアレルギーを持っている。梅雨時になると首や背中に湿疹ができて治らない。横浜の専門病院にかかったが、薬が出てもまったく治らなかった。今年はその湿疹が出ない。週に一回か二回、気の偏在を調整しながら流れをよくするための施術を続けてきた成果かもしれない。

気は身体の中をぐるぐる回っている。血にもなるし、体液にもなる。気は万物の元だと東洋医学では考える。量子論的な発想。気の偏在というのは交通渋滞みたいなものだ。ちょっとした坂や、信号で渋滞が起きるでしょ。あんな感じ。渋滞しているところを通していく。そのための指標が経絡と経穴(ツボ)。

事故の多い交差点のような場所が、人の身体にもある。そこばかりねん挫したり、体調が悪いと痛くなるような場所だ。

夫の場合、大きな渋滞ポイントが横隔膜のあたりにあった。ここは渋滞しやすい場所で、まずはここに鍼。大渋滞が少し解消したら、あとは細かく渋滞しやすい部位を見つけていく。さらに老化で腎の力が細っているので腎の力を底上げする。

やったのはそれだけだが、全体に血行も代謝も上がり、湿疹はおさまっている。疲れのサインのように時々出てくる時は、漢方や睡眠で解消し悪化しないように気をつける。肌はとてもよい状態になった。

そういう様子を見ていた娘がある日、「体調が悪い」と訴えてきた。脈を診ると風邪である。風邪は万病の元と言うけれどその通りで、外部からのウィルスや細菌には先手必勝。東洋医学はとても現実的な医学だ。
誰でも使えて、しかも道具がほとんどいらない。

若い娘には基礎体力があり、渋滞を解消してちょっとだけ底上げすれば、あとは自分の力で走りだす。それは見ていて気持ちがいい。初めて鍼を打たせてくれた翌日には、もう元気そうだったが、本人はあまり気づいていない。なんでもいい。家族が元気でいてくれればそれでいい。

家族が、少しずつ鍼の力を感じてくれ、具合が悪いと訴えて来るようになった。これはなによりうれしいことだ。長期で海外旅行に行くのに体調が悪いと暗い顔をしている娘に、昔なら言葉で励ますしかできなかった。親の言葉はつい説教になりがちで喧嘩になる。

いまは、身体に触れ、熱や冷えを感じ、そして1本の鍼を打つ。そのようなコミュニケーションができるようになった。言葉ではない。身体を通して家族と関われる。それが私をとても楽にしてくれる。

私は……機能不全家族と呼ばれる家庭に育った。父親が酒乱で、緊張感の強い家庭だった。兄も、母も早死にした。兄はひきこもりの末に孤独死をし、母は兄の死の翌年に脳出血で亡くなった。

兄は、なぜ一人で死んだんだろうか。なぜ働けなかったんだろうか。なぜ助けを求めなかったんだろうか。その問いに答えるために書いた小説が処女作で、その作品が売れたおかげで私は作家になった。

文章を書いて、自分の体験を整理したことが私にとって救いになった。それを実感しているので「クリエイティヴ・ライティング講座」を通して創作文章の書き方を伝えてきた。文章が過去を解き放つから……。

でも、やっぱり問いは残っていた。「あの時、わたしは何ができたんだろう」「どうすれば良かったんだろう……」「わたしの行動は兄にとって良かったのか、悪かったのか」思い返せば、兄を追いつめていた。言葉で……。なぜなら、私は兄を怒っていたから。働かず、問題ばかり起こす兄に腹を立てていたのだ。

けっきょく、私の人生は「質問」で構成されている。答えの出ない問いに答えを求めて生きていると、気がつけば何者かになっている。


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田口ランディが日々の出来事や感じたことを書いています。

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