テレビ創世記 白井隆二
テレビ初期の批評を読んで「ラヴィット!」についてつくづく考えてしまった件
自分の体験から考えて、テレビ制作は20代から40代前半の遊び場だと思うのです。
現場の人間が過去を掘り起こすことは少なく、ただひたすら”今、ウケる”を追いかけて番組を創ります。
新しい産業と言われてきたころはそれで良かったのでしょうが、もうそろそろ70年にもなるのだから、多少は歴史を把握して作った方が現在に対応できるのではないかと感じるようになりました。
やはり過去があるから今がある、過去を軽んじすぎるものは生き残れないのです。
創世記からテレビに関わってきた批評家が開局30周年の節目となる1983年に出版した本です。
ジャンルごとにまとめられているなかで、モーニングショーの成り立ちを読むと、立ち上がりから苦戦が伝えられるTBSの朝ワイド「ラヴィット!」について考えさせられてしまいました。
ある時間帯にそれまでの編成にはないジャンルを立ち上げるのなら、担当者に準備の時間と予算を与えなければ可哀そうだ。
朝のワイドショーってなに?・・・ここからの話です。
昭和30年代後半の民放テレビは、スポンサーのつかない早朝や午前帯に幼児向け番組や再放送でお茶を濁していました。
同じ時期にNHKは朝の7時から、ニュース、生活情報からドラマまで多種多様な番組を重ね合わせるワイド編成を行い大成功します。
これに対抗したのがNET(現在のテレビ朝日)で、ワイド編成の中身を1人の司会者がすべて切り回していくショー番組を昭和39年に立ち上げます。「木島則夫モーニングショー」ですね。この番組が当たったことでフジは「小川宏ショー」で追いかけました。
テレビの朝を変えた「木島則夫モーニングショー」は一朝一夕に作られたものではありません。局内部には3年前にアメリカのモーニングショー「TODAY」に近い番組を突こうろうという動きがすでにありました。その後にアメリカのスポンサーから朝ワイド創設の発案とバックアップの申し出があり、予算を確保したうえでおよそ1年3か月をかけて練り上げ準備してスタートしたのです。
どう考えても「ラヴィット」のスタッフはそんな準備期間も予算も与えられなかったろうに、全く性質の違うものを作って当てると言うのはムチャだったのではないかと思ってしまいます。
朝のワイドショーについてよぉ~く考えてみよう!
立ち上げるときにもう少し考えるべきだったかもしれません。
40代前半のスタッフから見れば、典型的な朝のワイドショーとは芸能や社会面のゴシップニュースを扱うものでしょう。
しかしそれはのちに変化したもので、ワイドショーの王道は暮らしの情報なのです。ですから「ラヴィット!」は保守本流の生活情報に戻すという動きであって、新しいことではないのですね。
また見せ方になにか新しさを求めたとしても、バラエティーを声高に主張する必要はなく、まずは生活情報をどう扱うかを煮詰めるべきなわけです。今の制作のスタッフはお笑いバラエティーが好きすぎて高く見積もる傾向があり、程度の問題を踏み越えてしまったかなと思いますね。
その結果、生活情報ではなく消費のカタログをお笑い風味で見せているように受け止められてしまった気がします。
歴史を知らないと自分の立つ位置をマッピングできません。
ワイドショーの成り立ちからその後の変遷を読んで、あらゆる面で難しい挑戦だったのかなと思いました。
ほぼ55年の朝ワイドの歴史で<お笑い=演芸>が当たったことはないのですから。
30周年のテレビ批評と70周年をむかえる現在のテレビ
かつてのモーニングショーは司会の木島則夫や小川宏の顔で引っ張れましたが、もうそういう牧歌的な時代ではなくなりました。
「ラヴィット!」も若い出演者を揃えましたよね。でもあれが現在のテレビのバズりたい症候群にならなきゃいいがとも思います。
視聴率が悪いとスタッフは良い要素にすがりたくなります。それが出演者のコアなファンによるSNS上の肯定的な意見だったりします。
まぁ普段から番組制作に都合のよいSNSの意見を使ったりしていますから麻痺するわけです。
ここで一歩引いてSNSの多数派幻想や、例えばファンダムが最も効果的にSNSを活用しているといわれるBTSのARMYがなぜクローズドにしているか考えた方が良いと思います。
ファンのちょっとしたつぶやきは視聴率向上に還元しません。
それこそテレビ批評を肩書にする人まで、我慢するとか良くなるとか様子を見るとか、どう考えてもおざなりな擁護をしていたりします。
もしこのままで良くなるとしたら環境変化があった場合で、それは誰にも予期できません。あきらかに採算分岐点を割っている状態で、なにかあるかもしれないからこのまま続けろって言うのは無責任ですよね。
私はスタッフが朝のワイドショーとは何かを真剣に考え抜き、恐れずに変えていく挑戦をして欲しいです。
現場を離れたのに、昔のテレビ批評を読むとこんなことばかり考えてしまいます。
テレビへの興味が高く模索が続いていた時代のテレビ観察者。
旧日テレ近くの紀尾井町にあった紀尾井書房。
テレビ関連の本をたくさん出していました。
初版で怪しいサイン入り。