
非野球もの/「太田道灌公を大河ドラマに!」は今
室町時代から戦国時代にかけて活躍した関東の名将・太田道灌公を是非NHK大河ドラマの主役に、という署名等運動が、2014年あたりから埼玉県越生町や川崎市や伊勢原市といった道灌ゆかりの地ではじまっている。
東京の城北エリアでも、赤羽とかで「道灌まつり」などやっている位重要人物であるので、名前は皆知っているが、具体的にどういう人かはたぶんあまり知られていない。渋沢栄一翁同様、多芸多才というか、功績がひとつではなく「これをやった人」と一言で言いやすい人ではないのである。
漫画『魁!クロマティ高校』で「"あのケンカに勝った"とか"このケンカに勝った"とかの実績より"××殺しの〇〇"みたいなキャッチフレーズがあった方が伝わるだろ」みたいなセリフがあったが、功績がどうとかよりもこのキャッチフレーズこそがその人物のキャラの基礎であり、では道灌のキャッチフレーズは何かというとめぼしいものはなく、エピソードはというと「山吹の里伝説」とか無駄に可愛いのだ。
道灌に限らず、日本の各地で「この人を大河ドラマに!」と持ち上げられている人物は多いが、持ち上げる人たちがアピールするのはほぼ例外なく、その人物が「いかに凄い功績を残したか」だったりする。
しかし、作るのは「ドラマ」だから、題材に求められる資質は、いかに立派な人か、よりも、ドラマの題材として面白いか、の方が重要なのではないかと思う。渋沢翁が注目された時、彼を題材とした小説を読んでみたが、小説というより歴史の教科書でも読んでいるようで、あまり「功績」が多岐に渡る人だとその生涯を一本の話にまとめづらいのだろうと思った。よく大河ドラマにできたものだと思う。
そんなわけで、本当は「ドラマの題材として面白いか」という側面からアピールすべきだと思うのだが、ある人物を大河ドラマの主役に、という話題は皆好きらしく、例えば野口英世をネタにしたコミュニティでは、野口の「功績」が実はそれほど凄いものではない。だから大河ドラマに相応しくない、という意見があった。
私は野口英世を「偉い人」としか思ってなく、ドラマを作るにしても何か啓蒙的なものになってしまうだろうと、つまり面白くなさそうだと思っていたのだが、『遠き落日』(渡辺淳一)を読んで、野口が言われるほど立派な人物ではなく、功績ももしかしたら過大評価されているのではないかと思わされた反面、逆にドラマの題材としては凄く面白い人だと認識を改めた。
決して人格者ではなく、特に知人に何度も金を無心する手練手管。結婚した女性との関係も決して麗しくなく、女性も献身的に野口を支えてはいないという偉人らしくない内情(こういうのはNHKは嫌うだろう)。どこまでも人間臭く、常にバタバタしている。ドラマの題材とはそういうものではないだろうか。
それに対し道灌の生涯をエンターテイメントとして描いた創作は乏しい。やはり原作がないと大河ドラマへのハードルは高くなるだろう。道灌がカッコよく描かれている小説というと、私が知る範囲では長尾景春を主役とした『叛鬼』(伊東潤)しかなく、しかも大河というほどのボリュームがない。
道灌が「凄い人」というのはNHKもわかっているとは思う。しかし原作がないとシナリオを一から練らないといけない。そこが一番のネックではないか…。
というのは常人の思考であって、本当はもしかしたらNHKのすべての判断基準は「女っ気」の有無ではないかと、密かに思っている。つまり、歴史の偉人の功績の陰には、常に献身的な女性とのロマンスがあった、という要素がないとNHKは動かないのだ。なければデッチ上げてでもねじ込む(例:宮本武蔵)。
NHKの「女好き」は普段の番組を見ていれば明らかで、例えば間宮林蔵のような功績で言えば大河ドラマ主役級の凄い人がスルーされ続けるのも、「女っ気」がないからで、かつ過酷な探検に明け暮れた彼のライフワークに無理矢理「ロマンス」をねじ込むのは難しいからだろう。史実にこだわる吉村昭の小説を読んだ限りでも、林蔵はNHK好みではない。ただ、探検を終え、落ち着いた林蔵の身の回りの世話をする女性との間に情が芽生えるという描写はあり、ドラマ的にもそれで十分ではないかと個人的には思う。
それはともかく、そう考えると、道灌を大河ドラマに抜擢する具体的な導線が見えてくる。
長尾景春を主役に、道灌はヴィランとして描く。景春はイケメンでモテたらしい(笑)。もうこの時点でNHK的には十分な筈である。いつまで信長と秀吉と家康のループを続けるのだろう。しかし魑魅魍魎な戦国時代の関東をドラマにできる力量があるだろうか。ひとつ言えるのは、道灌がドラマ向きかどうかはともかく、戦国の関東はスルーすべきではないという事だ。
件の、川崎での署名活動は実はまだ続いており、去年の段階で30万を集めたらしい。これは意外。