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バナナはオヤツに入るんですか?

最近、ハマっていることは、安住紳一郎の日曜天国をYouTubeで聴くこと。

その中で、遠足の話題となっていた。投稿されてるリスナーさんは、ボクと同世代。

オヤツは200円までという縛りがあった。確かに、ボクたちも、遠足に行くときは、先生から必ずオヤツは200円までにしなさいとキツく言われてたなぁと懐かしいおもいで聴いていた。

そういえば、小学生のころは、まだまだ純粋というか素直であった。

いつしか、ひねくれた少年になっていった。

なぜかなと、遠い記憶を引っ張り出してみると、思い当たる節があった。

それは、小学5年生のとき、同じクラスでハラくんという、非常に勉強ができるけど、それを鼻にかけることなく、ボクと仲良くしてくれてた。

その彼は、勉強が出来るだけでなく、色々な分野において博識だった。

たとえば、ガンダムのことなら彼に聞けば何でも答えてくれたり、コナン・ドイルのシャーロックホームズが実は覚醒剤を利用してることも、彼から教わった。

ボクは、児童向けに編集された本を読んでいたので、その事実を聞かされたときには、まさに青天の霹靂だった。

そこから、ボクは児童向けの本ではなく、文庫本の小説にカジをきって、おかげで読者が趣味となった。

そんな彼の影響を多分にうけて、ボクも色々と知りたい、突き詰めたいと思うようになり、学校の勉強はそっちのけで、興味のある分野について、本やら雑誌などで情報を集めることがクセとなった。

それと、彼は大人びていた。立ち居振る舞いではなく、ものごとを見るのに、冷静かつ違った角度からみていた。

その頃の男子というのは、活発といえば聞こえがいいけど、すぐ、調子にのったり、おちゃらけたり、何せ落ちつきはない。

でも、ハラくんは、落ちついている。決して、はしゃいだりすることはなく、反面、笑ったりすると、やはりボクたちと変わらないんだなと思わせる魅力があった。

で、仲良くしているから、ボクも彼と同じような視点でものごとを見るようになってきた。

しかしながら、彼は小学5年生で達観していたので、いくらボクが同じような視点にたとうとしても、付け焼き刃なので、彼と同じようにはいかない。

ただ、大人が隠しもってるズルさ、気に入っている生徒に対する態度、反面、気に入らない生徒に対する態度があからさまに違ってる。

まだまだ子どもだったボクは気に入られようとしていたが、彼は全く意に介していない。そんな彼に、同級生ではあるが、憧れの気持ちを抱いてた。

こうして思い出してみると、ハラくんには感謝の気持ちしかない。

確かに、素直さは失ったけど、かわりに、知識を得ることに貪欲になった。

ただ、ボクの場合は、雑学に全振りしてたけど。おしむらくは、これを勉学に向けてればと思うが、それはボクの性格を鑑みれば、自ずと答えは出てくる。

ムリ

勉強しろと、両親から口うるさく言われ続けた結果、反抗心しかうまれなかった。

何せ、自分たちは学がないから、今の生活を強いられてると思いこんでいて、生活を変える努力や姿をみていない。

トンビが鷹を産むわけではない。トンビはトンビだしとボクも頑なに思ってたから。

何せ、両親にたいしては、感謝の気持ちどころか、憎しみしか抱いてないから。

なぜなのかを語るには、時間を要するので、また後日にでも…

複雑に入り組んでる感情の原点とも言えることを思い出してしまい、何とも言えない。要するに、自分の原点回帰ではないが、深く追求する時期に来てるかもしれないな。

こうして、自分の思いを言語化することが、より深く追求することとなり、自分のことをスキになれるかもしれないから…

ということで、今日は、バナナはオヤツに入るんですかというキーワードからの話題でした。

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