落語ラン vol.8 「船徳ラン」
「船徳」はもともと「お初徳兵衛浮名桟橋」という噺の前半を独立させたものだそうです。お初徳兵衛というと、曽根崎心中と一緒ですが、もちろん筋は全然違います。
とても楽しい噺ですが、今や少し補足が必要な噺(後述)になってきているのかもしれません。
あらすじ
遊び好きがたたって勘当された「若旦那の徳さん」。船宿の二階で居候をしていたが、親方に船頭になりたいと思いを伝える。四万六千日の浅草寺詣りの客で【柳橋】界隈もごった返すある日、二人の客が船宿を訪れる。こんな暑い日は舟が一番と【大桟橋】まで行きたいと女将に伝えるが、女将は船頭が出払っていると伝える。ところが、二人は隅っこで居眠りをしている徳さんを見つけ、女将に舟を出すよう強引に依頼する。船頭デビューに張り切る徳さん。もやったまま舟を出そうとするなどドタバタの後、ようやく舟は大川に漕ぎ出たが…。
ランニングコース
柳橋→大桟橋(駒形橋or待乳山付近)
柳橋
柳橋は両国橋の少し上流にあるちょうど神田川が合流するところの橋です。昔は柳橋と言えば、花柳界では粋な街として有名だったと聞きますが、今はスタートアップがチラホラいたり、シェアオフィスが増えているイメージです。神田川沿いには今も数件の船宿がありますが、若旦那が居候出来るほどは大きくなさそうです。
四万六千日のご縁日で、船宿はごった返しますが、そもそもこの「四万六千日」が今では通じないため、マクラや噺の途中で説明を要します。
両国橋
大桟橋
「大桟橋」がどこを指すのかは微妙なところだと思っていまして、普通に考えると浅草詣でですから、駒形橋の桟橋なのですが、待乳山聖天の近所にも桟橋があったと聞きますので、そちらについても記述します。
【駒形橋】
ランニングで何度も寄っているのですが、駒形橋のたもとに小さなお堂があります。これが駒形堂。由緒を読むと随分昔からあったお堂のようで、浅草の観音様のご本尊もここで揚がったというお話のようです。江戸時代はここに桟橋があり、浅草寺にも近いので、普通に考えれば船客の二人はここを目標にしたのでしょう。
【待乳山聖天】
一方、待乳山聖天の近く、山谷堀にも昔は大きな桟橋があったようです。山谷堀は今は埋め立てられてしまい、妙にこぎれいなランブリングロードになっていますが、ここに降り立てば、吉原は目と鼻の先。浅草寺もまぁ近いということになります。寄席に行くと、柳家小菊姐さんがかなりの確率で「柳橋から小舟で急がんせ~」という俗曲(梅は咲いたかの替え歌)を披露して下さいますが、その中にも「山谷堀」という名前が出て来ますから、通常大桟橋といった時にはこちらを指していたのかも知れません。
余談
若旦那の徳さんは、スタートで船を舫ったまま漕ぎ出そうとして、いきなりつまづきます。が、この「舫う(もやう)」がもはや通じない言葉になりつつあるようですね。
「もやい」のある辞書での表記は以下です。
1.【舫い】 もやうこと。「―船」。それに使ってある綱。
「―を解く」
2.共同で行う(使う)こと。
「長屋の―の井戸」 出典:Oxford Languagesの定義
上記の意味のうち、2は「催合い」で、Shareすること、ですね。私の田舎の佐賀でも「おもやい」というとモノをシェアすることでしたし、岡山でも通用しました。面白いのは、渋谷駅前の「モヤイ像」で、これも新島の方言からきたようです。
マップ
https://www.mapion.co.jp/m2/route/35.69479828268251,139.78723885483944,16/aid=f2e1f4/