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落語ラン vol.7 「高田馬場ラン」

高田馬場といえば、堀部安兵衛ですが、落語にも「高田馬場」という演目があります。落語ランと言いつつ、ほぼ1キロちょっとです。

あらすじ

浅草の奥山のガマの油売りはすごい人だかり。若い油売りの口上が終わると、一人の老侍が背中の古傷に効くかどうか聞いてくるので、見せてもらうと老侍は古傷の因縁を話し始める、曰く二十年前に不義を働き受けた傷という。それを聞いて顔色が変わる油売り。老侍の名前を聞くと「岩淵伝内」と名乗る。「さて、汝こそは岩淵伝内。かく言うそれがしは、汝のために討たれし木村惣右衛門が一子、惣之助。これに控えしは姉のつゆ。いざ尋常に勝負、勝負!」と仇名乗り。境内は騒然。ところが岩淵伝内は観音の境内を血で汚す訳にはいかないとし、翌日牛込【高田馬場】で巳の刻に果たし合う事を約して去っていくが…。

ランニングコース

穴八幡宮→高田馬場→水稲荷神社

穴八幡宮

そもそも「高田馬場」は寛永年間に造られた馬術練習場。享保年間には、吉宗公が疱瘡平癒祈願のため穴八幡神社に奉納した流鏑馬が行われたそうで、それ以来厄除けや若君誕生の折には高田馬場で流鏑馬が奉納されていたそうです。穴八幡宮は一陽来復のお守りでも知られますが、目の前の交差点は「馬場下」、つまり高田馬場はもともとこの坂上にあったということですね。なお、馬場下交差点には早大生にはおなじみの「三朝庵」という蕎麦屋があったのですが、数年前に後継者不足で閉店。今は、実に味気の無いコンビニエンスストアになってしまいました…。

1)流鏑馬像

2)流鏑馬碑

3)穴八幡

4)馬場下町

高田馬場

馬場下から早稲田通りを高田馬場駅方面に上っていくと「焼鳥はちまん」という割と有名な焼鳥屋さんがあります。そこら辺一帯がまさに「高田馬場」だったということのようです。つまり、今のJR高田馬場駅は本来の高田馬場とはかなり離れていて、鉄道院が駅を設置する際にいくつか候補駅名があったようなのですが、本来の地名の「戸塚」は他にもあるため駅名を「高田馬場」とし、住民を納得させるために本来の読みの「タカタノババ」ではなく「タカダノババ」にした、ということのようです。今の住居表示の高田馬場は駅名を追認した形で1975年に決めたということですので、これはもうかなり後の話ですね。いずれにしても、鉄道駅設置の時の住民の心配の通り「高田馬場」は本来の地域とはかなり離れた地域の名称になってしまったようです…。
なお、この焼鳥屋さんから奥に入る通り(茶屋町通り)を少し行くと、昔は「安兵衛湯」という銭湯があり、ここがまさに「神田川」で唄われた「二人で行った横丁の風呂屋」のモデルだった訳ですが、残念ながら平成二年に無くなっています。また、同じく近隣にあった「松の湯」も2020年7月31日に残念ながら閉じてしまいました。

5)焼鳥屋

6)高田馬場由来

7)高田馬場説明

水稲荷神社

この落語で見られるように、堀部(中山)安兵衛の「高田馬場の決闘」が講談や浪曲ネタとしてあまりに有名なために、決闘の場の代名詞として「高田馬場」は有名です。かわら版等では十八人斬りと書き立てられ、一気に安兵衛の名前は有名に。ついには、安兵衛の腕を見込んで婿養子にしたいと願い出る者まで現れます。それが、播州赤穂藩の老臣堀部弥兵衛金丸で、これ以降安兵衛の運命も変わっていく訳です。決闘の場の近所に「水稲荷神社」があり、そこに堀部安兵衛の石碑(堀部武庸加功之遺跡碑。正二位勲一等侯爵西園寺公望篆額)があります。さすがに漢文で何が書いてあるか良く分かりませんでしたが、解説を読むと日露戦争に向かう国威発揚のために建碑ブームというのがあり、篆額として西園寺公望が手を動かした、ということのようです。

8)水稲荷

9)水稲荷本殿

10)堀部安兵衛碑

11)堀部安兵衛碑

12)堀部安兵衛説明

13)国威宣揚

マップ

https://www.mapion.co.jp/m2/route/35.706734581841744,139.71859576188163,16/aid=f28b15/

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