落語ラン vol.18 「百川ラン」
「百川(ももかわ)」は落語らしい落語といいますか、馬鹿馬鹿しい割には噺家の力量を問われる気がして、好きな噺の一つです。実在の料亭百川を舞台にした噺で、実際にあった噺とも言われていますが、百川の宣伝用だったのかも知れません。
日本橋には、「日本橋社会教育会館」という小学校と合築の施設があって、そこで落語を聴く機会が多いのですが、そこから帰る時に何度か「百川散歩」をしたことがあります。なので、実は初ランではありません(笑)。
あらすじ
【日本橋浮世小路】の懐石料亭「百川」。【日本橋葭町】の千束屋から紹介された百兵衛さんが現れる。奉公ずれしていない人を頼んでおいた主人は、田舎者ではあるが、同じ百がつくこの百兵衛さんを気にいる。ところが、先ほどから二階の気の荒い河岸の連中からお手が鳴っている。女中連中はあいにく髪をほどいてしまっており、やむなく百兵衛さんが接客に向かうことに。二階の連中は祭で使う四神剣(旗)を質に入れてしまっており、その相談で集まっていたのだ。一同は見慣れない訪客に面食らうが「わしはシジンケ(主人家)のカケェ人(抱え人)でごぜぇましてなぁ、ヘェ」の声に恐れおののく。田舎なまりの百兵衛さんの言葉が「四神剣の掛け合い人(ネゴシエーター)」と聞こえたのだ。一同は「決して、あなた様のお顔だけは潰しませんので、この具合をグッと飲み込んで頂いて」と懇願。百兵衛さんは、クアイのきんとんを丸飲みして、涙からがらに帰っていく。一同は、ドジごしらえのとんだ親分さんだと感服するも、次に百兵衛さんが上がってきた時に、全てが明らかになってしまう。気を取り直して、一同は百兵衛さんに【長谷川町・三光新道】の常磐津の師匠、歌女文字(かめもじ)を呼んでくるように依頼するが…。
ランニングコース
日本橋葭町近辺→長谷川町(三光新道)→日本橋浮世小路(百川)
日本橋葭町
葭町というのは、今の人形町1、3丁目の辺りのようです。千束屋というのはいわゆる口入れ屋、桂庵でして、日本橋教育会館にほど近い辺りにあったと思います。千束屋というのは「化け物つかい」あたりにも出て来ますので、恐らく実在の職業紹介所だったのでしょうね。
近辺には、谷崎潤一郎生誕の地などもあります。
長谷川町(三光新道)
日本橋の長谷川町は、今の堀留町(昔の田所町)の南の方ですね。三光新道(じんみち)から入ったところに三光稲荷神社があり、長谷川町の記述もあります。この辺りに歌女文字師匠や、お医者さん鴨池玄林が住んでいたのでしょう。
近隣には、お玉が池種痘所もあり、玄冶店(歌舞伎お富と切られ与三郎や、春日八郎のお富さんで有名)の岡本玄冶がいたところで、江戸~明治のお医者さんはこの辺にウロウロしていたんでしょうかね?
日本橋浮世小路(百川)
料亭百川は、ペリーが来航した際の接待にも使われた由緒正しい実在の料亭のようです。日本橋浮世小路というのは、今の福徳稲荷神社の辺りで、百川もその辺にあったようです。福徳稲荷神社は、いつ行っても賑わっていますが、加須市の算額が掲げられているなど、興味深いです(なお、関孝和の墓は弁天町の浄輪寺にあります。)。
マップ
https://www.mapion.co.jp/m2/route/35.6848296681636,139.78178860609603,16/aid=8af2f8/