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【連載】C-POPの歴史 第13回 C-POP最高の歌姫、フェイ・ウォンとはなんだったのか。
中国、香港、台湾などで主に制作される中国語(広東語等含む)のポップスをC-POPと呼んでいて(要するにJ-POP、K-POPに対するC-POPです)、その歴史を、1920年代から最新の音楽まで100年の歴史を時代別に紹介する当連載。前回は90年代の香港の音楽界を、Beyondやカレン・モクの楽曲を紹介しながら、オリジナリティの獲得という点に絞って考えていきました。
今回は、第5回のテレサ・テン以来となる、個人のシンガーにスポットを当てた回です。主役はフェイ・ウォンです。
香港を代表する歌姫、フェイ・ウォン
C-POPに興味がある人で、フェイ・ウォンを知らないという人はあまりいないと思いますが、せっかくなので簡単に紹介しますね。王菲(Faye Wong/フェイ・ウォン)は、特に1990年代の香港のトップスターであり、その人気は中華圏にとどまらず、ここ日本でも90年代はCMに登場したり主役級でドラマに登場したりと大変な人気でした。
フェイ・ウォン J-Phone CM集(1999年)
当時を知らない人のために、当時のCMを紹介します。当時のフェイ・ウォン。香港から来た謎の美女って感じですね。んー、色っぽい。だはー。あ、よだれ出てた。ごめんなさい。
なぜここまで人気を得たのか。それもこれも、映画「恋する惑星」(1994年)の大ヒットがあったからだと思います。ウォン・カーウァイですよ。あの、世界が認めちゃった映画監督ですよ。当時を知らない若者はぜひそこらへんのサブカルかじってそうなおじさんに聞いてほしいものですが、それはそれは大変な人気でございました。彼女は、この世界的なヒット作に主演し、かつ主題歌も歌っていたので、本人のキャラクターと楽曲を両方とも世界に発信できたという幸運に恵まれました。その結果、彼女のファンは世界中にいます。
C-POPを代表する女性シンガーは誰かといえば限られています。世代によって変わりますが、古い人ならテレサ・テンとなるだろうし、私の世代ならフェイ・ウォンがダントツでしょう。その下の世代ならジョリン・ツァイと言うかもしれない。いずれにせよ、片手で数えるほどしか候補にあがってきません。客観的な事実でいえば、フェイ・ウォンは中華圏3地域(中国本土、香港、台湾)のアワードすべてで「最優秀女性歌手」賞を受賞した最初の歌手です(※)。クイーン・オブ・C-POPを決める選挙があるとしたら、私はフェイ・ウォンに投票します。
もしもあなたがフェイ・ウォンを知らない、あるいは名前は知ってるけど曲は知らない(たぶんこれが現代の日本人の大半)であれば、ぜひともまずはこの曲を聴いてください。
夢中人/王菲(Faye Wong)(1994年)
こちらは件の映画「恋する惑星」の主題歌、「夢中人」という曲です。1994年。このMVは、映画からシーンを抜粋されたヴィデオで、いわば、世界的な巨匠、ウォン・カーウァイが作ったミュージック・ヴィデオというプレミアでもありますので、興味ない方もお勉強だと思って4分少々の時間をください。
どうでしょう。わりといい曲でしょ。次に映画を見たことがない人から、この流れで紹介するとひとつの疑問が出てきそうです「え?さっきのJ-PhoneのCMの美女がこれ? なんか短髪で猿みたいじゃない?」うーん、そうかもしれません。でもとりあえず、多くの日本人の前に、フェイ・ウォンはこうやって登場しました。1981年生まれの私にとって、「恋する惑星」(1994年)公開は13歳。そこからアメリカの監督クエンティン・タランティーノが激褒めし、日本で本格的に流行り出すのは1995か96年あたりだったと記憶してます。私は14歳とか15歳で、大人の階段を必死で登っている最中でした。私が初めて見たのはいつだったのか記憶にありませんが、以来フェイ・ウォンがいつか留守宅を勝手に掃除してくれる夢を見ています(そういう映画なんです)。
私や当時彼女に夢中になった人は、この自然体の女性にやられちゃったわけです。自分語りもそうそうにしろよって声が聴こえてきたので次の曲紹介にすすみます。
胡思亂想/王菲(Faye Wong)(1994年)
こちらも「夢中人」と同時期に発表された曲。ぜひとも「夢中人」と、「胡思亂想」の2曲だけでも、歌詞を見つけて意味を理解していただけると幸いです。そしてこのいかにも90年代っぽい伴奏を聴きながら、皆様の青春期を思い出していただければ幸いです。「え、オレの青春は2010年代なんすけど」。結構。だったらそれで問題ありません。この2曲はそれぞれの青春、初恋や若い恋がテーマの曲だと思いますので、それぞれの思春期を想像してください。
彼女は香港を代表するミュージシャンでありますが、北京で生まれた人で、実は母国語は中国語(普通話)です。しかしこれらの楽曲は広東語で歌われています。様々な広東語の歌を当連載では紹介しましたが、広東語で歌われる楽曲ということに絞れば、この2曲を上回る曲はないかもしれません。
この曲のフェイ・ウォンは、髪も伸ばして結んで、なんかアーティストみたい。ふむふむそうですね。曲や映画ごとにイメージがガラッと変える人、ということで言えば、私は日本の椎名林檎なんかを思い浮かべますが、彼女もそういうタイプのアーティストです。しばらくフェイ・ウォンを見てると、フェイ・ウォンならどのフェイ・ウォンも好きだとなるんですが、あなたはどうですか? だってそれが本当の恋ってもんじゃないですか。
「夢中人」は、クランベリーズ(Cranberries)のDreamsという曲のカバー。「胡思亂想」は、コクトー・ツインズ(Cocteau Twins)のBluebeardという曲のカバー。え? そんな力説してカバー曲だったの? そうです。当連載を読んでいただいている方はわかると思いますが、カバー曲は20世紀広東(香港)ポップスのアイデンティティともいえます。
北京の少女が世界のフェイ・ウォンになるまで
それでは、ここから彼女のキャリアを駆け足で振り返ってみましょう。1969年、共産党支配下の北京に生まれた彼女は幼少期からテレサ・テンを聴いて育ち、自然と歌手を志し、高校生の頃から自主制作でカセットテープを作っていました。当時のテープはネットにも落ちてますが、すでに歌姫の風格があります(→甜蜜蜜、1985年、当時16歳)。こうして歌手に憧れたフェイ・ウォンは、しかしながら中国での歌手活動は難しいと感じ、外国、特にアメリカに移住することを計画します。そこでまずは18歳の時に香港に移住し、アメリカへの移住を検討することになりました。しかし当時のルールでは、香港に移住した者は最低でも1年は居住しなければいけないと決まっていたので、その間は歌手としてトレーニングを受けたり、モデルの仕事をしたりして繋いでいました。
1989年、コンクールに参加した彼女は、銅メダルを受賞し、そのまま香港での歌手デビューが決まってしまいます。メジャーデビュー後は、「王靖雯」(1989年)、「Everithing」(1990年)、「You're the Only One」(1990年)と立て続けに3枚の広東語アルバムを発表します。この時点ですでに賞を受賞するなど好調でした。彼女のキャリアを改めて振り返ると、ずっと順調なんです。音楽の神様、芸能の神様に愛されてるとしか思えません。
Everything/王菲(Faye Wong)(1990年)
のちのイメージからするとずいぶん野暮ったい雰囲気もありますが、この時期に広東語の歌唱を身につけていったのでしょう。
1991年、彼女は単身アメリカに渡り、トレーニングを受けます。帰ってきた1992年、それまでのキャリアの中で傑作とされるアルバム「カミング・ホーム」を発売します。アルバムの1曲目を聴いてもらいましょう。
浪漫風暴/王菲(Faye Wong)(1992年)
曲の冒頭で、まだヴォーカルパートが始まってない段階で♪エエーと歌っている箇所があります。こういうのを専門用語としてはフェイクとかアドリブって言うんですが(勉強になりますね)、あまりそれ以前のC-POPでは見られない歌唱です。トレーニングの成果かもしれません。
次のアルバム「執迷不悔」(1993年)では、初めて作詞に挑戦します。そして、さらにアルバム「十萬個為什麼?(邦題:十万回のなぜ?)」(1993年)で、彼女は新機軸を打ち出します。このあたりから彼女は「歌手」という枠から飛び出て、「アーティスト」になったのではないかと思います。それまでの彼女と何が違うのか? 髪型も曲ごとに変え、アルバムジャケットやトータルコンセプトにも口出しするようになってきました。そういう内側の変化を踏まえて、同アルバムから「流非飛」をお聴きください。
流非飛/王菲(Faye Wong)(1993年)
この曲は、作詞は第12回で紹介した、Hip Hopユニットのソフトハードが担当していて、作曲・編曲もソフトハードのブレーンとも言える江志仁(C.Y. Kong)が担当しています。いわば、ソフトハード印の楽曲。
おそらくですけど、北京で生まれて真面目に歌手の道を志していた彼女にとって、香港のDJ上がりのラッパー、ソフトハードは自分とは正反対な存在に見えたかもしれません。歌唱力はないけど、自分たちのセンスで突っ走る二人組の愉快な人々。おそらくですけど、ここで彼女は彼らから遊び心を学んだのではないでしょうか? 不思議なアルバムタイトル「十万回のなぜ?」にもその遊び心は表れています。
誓言/王菲(Faye Wong)(1994年)
テレサ・テン、アメリカ、香港の音楽界、ソフトハードと様々な影響を受けて、その度に自分に吸収してきた彼女の前に、同じく北京出身で、第9回で紹介した黑豹乐队(Black Panther)の窦唯(ドウ・ウェイ)が現れます。意気投合した2人は曲を作ります。「誓言」は、作詞はフェイ・ウォン、作曲は共作、編曲はドウ・ウェイ。ここで彼女は、中国、そして2人の共通の出身地、北京というアイデンティティを思い出したのかもしれません。
この2人はアルバムの共作にとどまらず、私生活でもパートナーになります(のちに離婚しちゃうんですけど。。)。
この「誓言」、そして冒頭で紹介した「夢中人」「胡思亂想」を含んだアルバム「胡思亂想(邦題:夢遊)」(1994年)は、広東ポップ至上最もよくできたアルバムだと私は思います。こうしてフェイ・ウォンは1人のアーティストとしてのアイデンティティが固まってきました。そこに出演する映画「恋する惑星」(1994年)の世界的大ヒットが重なります。この映画が有名すぎて、彼女は音楽活動の傍で女優業もたくさんやってきたとお思いの方もおられるかもしれませんが、この作品以前、たった一度しか映画には出演していませんでした。2回目の仕事で主演クラス。そして世界的なヒット。映画のような、多くの人々が関わる作品の場合、作品がヒットするかどうかは本人の能力ももちろんありますが、それよりも多くの巡り合わせの方が重要だと思います。
歴史に名を残すアーティストは、どこか運命に選ばれるようなタイミングがありますが、彼女の音楽活動の場合は十分な助走期間を経て、準備万端のタイミングで世界に知られたと言うのが、とても「持ってる」と思います。
天空/王菲(Faye Wong)(1994年)
1997年の中国返還を控えた香港は、他の国の2倍ぐらいのスピードで時が流れてるのかな、というぐらい早く、同じ年には早くも新アルバム「天空」を発売します。このアルバムは、全編普通話(中国語)で歌われています。アルバムのタイトル曲「天空」は、その後の彼女の活動において、大事な式典に招かれた際や、コンサートのラストに歌われることが多く、自他共に認める彼女の代表曲ということでしょうか。
スケールの大きい、とても雄大な曲だと思います。
こうして北京のテレサ・テン好きの少女は、世界のフェイ・ウォンへと進化したわけです。
出路/王菲(Faye Wong)(1994年)
さらに「討好自己」(1994年)を発表したフェイ・ウォン。いったい彼女の1994年はどんなスケジュールで動いていたのでしょうか。この曲では作詞・作曲がフェイ・ウォン。編曲がドウ・ウェイ。普通話(中国語)で歌われています。この曲では、世界的なスターになったフェイ・ウォンの不安な状況、等身大の悩みなどが歌われています。
強気な表情、アーティスティックな表現で突き進むフェイ・ウォンの、内面にある弱さに触れるような歌詞です。ああ、今すぐ彼女に会って抱きしめて「大丈夫だよ」って言ってあげたい。そのあと飲みに行って「あのJ-PhoneのCMさ、ずいぶんかっこよくエロく撮れてるけど、なんか本来のフェイはそんなんじゃないのにね。ダサいジャージ着てテレサ・テン歌ってたのが本来のフェイでしょ。あのジャージどこで買ったのよマジで(笑)。いやー、メディアってすごいね、人を変えちゃうよね。でも大丈夫。あなたはとんでもなく高い場所にいるけど、それは自分の力で這い上がったんだよ。すごいよ。尊敬する。あとは自分のやりたいことをやればいいし、やりたいことがなくなれば恋でも愛でも子供産んだりもすればいいんだよ。いっそのこと誰も知らない場所に行って僕と2人で愛しあうか。え、彼氏はどうせツアーでいないんでしょ? 何その人を軽蔑した目はーやめてよー・・・」あれ、夢か。今、2024年なんですか? いつの間に30年も経ってるんだ!
そんなわけで、他のアーティストが10年も20年もかけても到達できなかった場所に、香港に移住してデビューしてからわずか5年(1989〜1994年)で到達した彼女は、以降も現在までトップアーティストの地位を保っています。
彼女の歌声は、「天空」という曲に代表されるように、空を飛んでいるような気分にさせる、浮遊感のあるイメージです。世界一人口密度の高い街、人で溢れかえる香港のビルの谷間をふわふわと漂いながら歌う彼女に香港人はみんな恋をしました。その恋はまだ覚めることはなさそうです。
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(※)フェイ・ウォンのアワード、記録について
香港=勁歌金曲頒獎典禮「アジア太平洋地域で最も人気のある女性歌手」(1993〜1997、1999、2000年受賞)
中国本土=全球華語「最優秀女性歌手」(1995年受賞)
台湾=金曲奨「最優秀国語女性歌手賞」(2004年受賞)
また日本では、オリコンチャートTOP10にランクインした唯一の中華圏を基盤とするアーティスト(「eyes on me」(1998年))という記録を所有しています。この記録はまだ破られていません。すごいね、フェイ・ウォン。
次回予告 フェイ・ウォンと真逆の歌手??
次回は同じく香港の1990年代を代表するアーティスト、サンディ・ラムについて記事にしたいと思います。
テレサ・テンと並んでフェイ・ウォンも一つの記事として独立させることに読者からあまり異論はなく、そこそこの反響を得られるんじゃないかと思いますが、次の号は少々心配です。でも、ちゃんと読んでいただければ、サンディ・ラムという歌手が、C-POPの歴史全体からみて、かなり重要なアーティストであることはわかっていただけると思います。また、ありとあらゆる面でフェイ・ウォンとサンディ・ラムは真逆です。光と影。太陽と月。そんな関係です。できたらこの好対照を味わっていただきたく、一本の独立した記事にする予定です。お楽しみに。
バックナンバー
1927年の曲から、C-POP100年の歴史を振り返る連載。やっと90年代が終わりつつあります。気になる年代から読んでくれてかまいません。ぜひともバックナンバーも読んでみてください!