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正しさへのこだわりが人生を窮屈にしていた

みなさん、「これが正しい!」って思い込んでいることってありませんか?

わたしは、山ほどありました。

「正しさ」にこだわりすぎたあまり、自分で自分の人生を窮屈にしていたことに気付くまでは。

今もありますが、だいぶ減ったと思います。

この気づきで、どれくらい人生が楽になったか、書いてみたいと思います。



自分の「正しい」が正解とは限らない


誰しも「こうあるべき」って1つは持っていると思います。

例えば、わたしの場合。

企業研修の講師として25年以上やってきて、「プロの講師としてこうあるべき」という思い込みがとーっても強かったんです。

完璧な資料、完璧な話し方、完璧なデモンストレーション、完璧な立ち振る舞い、完璧な理解、これが当たり前。

ある講座に登壇し、いつものように講義をしていたときのこと(当時はリアル講座しかありませんでした)。

一人の受講者さんが突然手を挙げて、「先生の話し、難しくてついていけません」って言い放ったのです。

その瞬間、わたしは自分の顔がかーっと熱くなるのを感じました。

そこからしどろもどろになり、残りの講義をどうやってやり切ったのか思い出せないほどの苦い経験でした。(思い出したくない、というのが本音です)

とにかく一秒でも早くその場を立ち去りたかったことは、鮮明に覚えています。

講義が終わり、控室に集まった講師仲間にその日の出来事をぶちまけました。

「講義中に突然しゃべり出す人がいてね、なんて言ったと思う?」と。

「それは災難だったねー」「嫌な受講生だねー」って同情・同調・慰めて欲しかったんです。

ところが、ある先生に「いいアドバイスもらえたじゃん!」と言われたその瞬間。

わたしは自分の顔がかーっと熱くなるのを感じました。

1度目よりも激しく。

あぁ恥ずかしい。

すごく恥ずかしい。

早くこの場から立ち去りたい。

1日に2度もこんな思いをするなんて!


でも、その日の出来事を境に、「自分が思う正しさってなんて危ういんだろう」と気付いちゃったんです。

わたしは、「講師たるものこうあるべき。これが正しい(正解)。」にとらわれ過ぎて、目の前の人のことを見ていなかったんです。

わたしが信じていた「正しさ」の正体は、受講者ではなく自分を満足させるたのものだったんです。


正しいの押し付け


さらにやっかいなのが、正しさを自己満足にとどめていないこと。

正しいことをしている自分偉い、正しいことをしていないあの人ダメ。

自分の正解は誰かにとっては不正解なのに、それを押し付けてしまっていたんです。

わたしが当時持っていた、「べき」をリストにしてみます。

  • 約束の時間は5分前に来るべき

  • 返信はすぐにするべき

  • 人の話は最後まで聞くべき

  • 公共の場では静かにするべき

  • 若い人は目上の人に敬語を使うべき

  • チームの和を乱さないべき

  • 自分の担当業務は完璧にこなすべき

  • 結婚しても自分の仕事を持つべき

  • 配偶者は家計を支えるべき

  • 困っている人は助けるべき

  • 人に迷惑をかけないべき

  • 相手の立場に立って考えるべき

  • お世話になった人には恩返しするべき

もう、この位にしておきましょう。

これを読んでどう思いましたか?

「そりゃその通りでしょ」「社会人として当たり前」と肯定してくださったかもしれません。

でも、本当に「べき」なんでしょうか。

相手の事情や個性を無視していたかも?

文化や価値観の違いを考慮していなかったかも?

不必要なプレッシャーを与えていたかも?

そんな視点を持ってみると、また違ってくるのではないでしょうか。


「正しさ」との上手な付き合い方


セミナーで大恥をかいたわたしのその後について、お話します。

面白いことに、「正しさ」から解放されことで、それまで気づかなかった受講者さんの表情の変化や、ちょっとした反応がよく見えるようになってきたんです。

  1. 受講者さんとの対話が増えた

  2. セミナーの内容がより実践的になった

  3. 失敗を恐れなくなった

  4. 新しいことにチャレンジできるようになった

これらが出来た日は、資料に誤字脱字があっても、デモンストレーションでミスっても、言葉遣いがラフになっても、アンケート結果は平均以上になることが多かったです。

とはいえ、「正しさ」を完全に無視するのも問題です。大切なのは、バランスです。

何十回と繰り返しやってきたセミナーでも、前日までにテキストの全ページを見直し、しっかり準備します。

でも、以前のように「完璧でなければならない」とは思わなくなりました。

その代わり、「今日のこの受講者さんに、どんな価値を提供できるだろう?」って考えるようになったんです。

哲学者ハイデガーは「人間は可能性に向かって開かれた存在である」と言いました。

とても勇気をもらえる言葉ですが、「正しさ」にこだわりすぎると、かえって自分の可能性を閉ざしてしまうものだなと、経験から理解しました。

正しさを上手に付き合えるようになった今は、とても軽やかです。


最後に


正しさを課して窮屈にしているのも自分、可能性を閉ざしているのも自分。結局、現実をつくっているのは自分なんですよね。

もし、わたしと同じように「べき」がたくさん出てくるならば、ちょっと肩の力を抜いて、新しい視点で物事を見てみませんか?

「こんな視点もあったのか!」一緒に考えていけたら嬉しいです😊


お読みいただきありがとうございました!


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