「耐える」ってどういうことなんだろう
おはようございます。らっこです。
昨日ふとした瞬間に、精神的な限界を迎えそうになって、その原因となる人との連絡を強制的に切るという決断をしました。
そのときのポストはこちら
私のことを長く知ってくださっている方はよくご存じかもですが、私は耐える意味を見いだせないことへの耐性がほぼ無いです。
昨日のポストでもそのことを書いてます↓
これはもう本当に新卒のときからで、相手が役職者だろうとなんだろうと意見を言います。
自分が意見を言って変えられそうレベルの相手であれば。
明らかに相手の方が地位もあり、自分が吹いて飛ばされるような存在のときは、さすがに戦いません。耐えます。耐える理由があるうちは。
ただ仕事だと、別に絶対にその状況に耐え続ける必要はないじゃないですか。会社は転職すればいいし、なんならフリーになればいいし。
私は会社員を辞める道を選びましたが、その理由の8割くらいは「自分で納得して決めたい」からでした。
仕事だからといって、全然納得してないことを我慢すること、会社や上司の理不尽(に思われる)要求に耐え続けるのが意味不明になったので、会社員を辞めました。
フリーランスの生活は大変ですが、自分で決められることが増えたので、精神的な「納得できなさ」は減りました。
ただその反動からか、納得できないことへの耐性はさらにマイナスになった気がします。本当に耐えられない。社会不適合や。
で、最近なにが苦しかったかというと、息子のスポーツの縦社会です。
申し訳ないですがここから先はメンバーシップあるいは有料にさせていただきます。
ここから先は
1,583字
この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?