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そうだ、お茶をのもう

noteを書こうと思いiPadとキーボードを用意する。グッと手を伸ばすと届く場所に置かれたそれらはササッとテーブルの上に整う。

やりたいこと、やらなくちゃいけないことにすぐ取り組むにはなるべく動作を減らす。逆にやめたいのにやっちゃうことに対しては動作を増やすといい。やり始めるために行わなければいけない動作が多ければ多いほど距離を置きやすくなる。
アプリは消して、見終わったらログアウトして、動作を増やしているのについつい見てしまうTwitterの中毒性を思い知らされる今日この頃。


iPadとキーボードが用意できたら、いつもならすぐに書き始める。しかし、今日は違った。「何かお供を用意しよう」なぜかふと思いついた。きびだんごではない。食べたいけど。
立ち上がりキッチンへと向かう。向かうと言っても4歩あれば到着。何も置かれていないキッチンテーブル。
さて、何を用意しようか。

お腹はいっぱいだからご飯系は入らない。甘いものの入る別腹もない。食べ物系はお腹の消化工場がNGを出しているのでやめておこう。夕飯の消化よろしくお願いします。

飲み物にしよう。とりあえず、お湯を沸かそう。
背後の棚からステンレスのやかんを取り出す。ピーーとなるタイプのやかんだが、音に毎回びくつくので蓋は閉めない。代わりに沸騰した時のコポコポという音が心地いい。料理をしていないのに料理をした気分を味わわせてくれる。

やかんを火にかけてコンロ下の引き出しを開ける。しゃがみ込んで飲み物スタメンたちと相談。緑茶、玄米茶、ほうじ茶、そば茶、抹茶、アッサム、ダージリン、チャイ、ココア、いろんなデザインのパッケージが「俺いけます!」とアピールしてくる。誰にするかではなく、「随分種類があるなぁ」と違うことを考える。買ってきたのは全部自分なのに。

暮らしは比較的ミニマリストな方(だと思っている)でも、お湯で入れる飲み物にめっぽう弱い。さらにはグッとくるパッケージが多いのも困りもの。ついつい増えてしまう。なのに1番よく飲むのは白湯だから、スタメンたちには申し訳ない。賞味期限までには美味しく飲むからね。

引き出しを覗き込んで色々と考え事。でも、このなんでもない時間が贅沢で特別に感じる。

よし、今日は緑茶にしよう。

ティーパックくんでもなく、茶葉ちゃんでもない。今日は粉末緑茶さん。
コポコポと泡を吹くお湯をトコトコとお気に入りのマグカップに注ぐ。これだけでも今日1日が満たされた気分。そこにサッサッと粉末緑茶をふりかける。じゅんわ〜と広がりお湯に溶けていく。今日はちょっと濃いめ。

スプーンを洗うのが面倒だったのでマグカップをくるくる。粉末緑茶さんは溶けやすいんだ大丈夫(圧倒的信頼)熱々をジュッと飲めば口の中にまろやかな渋みが広がる。

お寿司屋さんのお茶だ

どのお茶を飲んでも感じられない粉末緑茶特有の味わい。軽めのスッとした味わいが満腹のお腹にも優しく染み渡る。コクッと飲んだら自然とふぅと息がこぼれる。幸せのため息だ。お茶を入れてきただけなのにこの満足感。人生って素晴らしい(すごく飛躍した)


パチパチパチパチ

コク

パチパチパチ

コク


いつも通りの日常に1つ違うリズムが加わっただけ、それだけで充実感がある。「飲む」を挟むことで1つ1つの動作が丁寧になる気がする。気持ちがほぅと落ち着くんだ。今この時間を大切にできている。なんかいいね。


ちょうど飲み終わるころ。

よし、おかわりしよう。

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