#153 認められたいなら認めていけ
「最近はだいたい土日も予定で埋まっててさ。色々な人から声をかけてもらえるんだよ。だから最近すごく充実してる。
人から求められるって、やっぱりすごく嬉しいよな」
先日、親友と呑みに行ったときに、彼が発した言葉である。
充実感溢れる表情で発せられたその言葉を、僕は笑顔で聞き入っていた。
けれどもし20代の僕がこの言葉を聞いたなら、激しく嫉妬したと思う。
若き頃の僕を思い返すと、まさに承認欲求の塊だったからだ。
認められたい。
求められたい。
だけど、誰も僕のことを認めてくれないし、求めてくれない。
そんな思いにのたうち回るほどに苦しんでいたのである。
もちろん今も承認欲求の不足を感じ、寂しさを覚えることもある。
けれど、そのたびに僕は自分に問うようにしている。
では今、僕は誰かを承認することをしているだろうか、と。
誰にも認められず嫉妬する日々
10代、20代の頃の僕を省みると、今より孤独だったと思う。
周りに友達はいないし、ほとんど恋愛をせずに過ごしてきた。
だけど周りを見ると、皆幸せそうな顔をしている。
複数人で笑いながら歩いている人たち。
手を繋いで幸せそうに歩くカップル。
それらに僕は、強い嫉妬心を何度も覚えた。
どうして僕には友達がいないんだ。
どうして僕には恋人がいないんだ。
誰か僕を認めてくれ。誘ってくれ。求めてくれ。
けれど、そう念じたところで、誰も認めてくれないし、誘ってくれないし、求めてくれるわけもない。
その現実を受け止められずに、孤独感を深めるばかりだった。
だけど、ある曲の歌詞からこの状況を脱するヒントを見出した。
認められないから認めにいくしかない
BUMP OF CHICKENの「オンリー ロンリー グローリー」がそれである。
この曲の歌詞にこんな一節がある。
この歌詞を読んだときに、自分の苦しみの理由がわかった気がした。
認められない、求められない、好かれない。
そればかり思っていた。
では、僕は誰かを認めていただろうか、求めただろうか、好いただろうか。
ちょうだい! 下さい! くれ! よこせ!
こんなことばかり言っている人には、何も与えたくないのも当然だ。
SNSなどでも承認欲求に苦しむことがある。
充実した人たちを見ると、どうしても嫉妬心を覚えて、充実していない自分と比較して、自己否定に苦しむ。
けれど、充実している人たちは、ちゃんと自分から誰かを求め、認め、好いているのだと思う。
その経緯を見ずに結果だけ見ているから、充実している人たちと自分との間に勝手に溝を作ってしまうのだろう。
認められたいなら、認めていく。
求められたいなら、求めていく。
承認欲求は、待っているだけで満たすことはできない。
誰かの承認欲求を満たして、初めて満たされる鍵をもらえるのだと思う。
世の中は不平等で残酷だけど
もちろん自ら認めて求めても、必ず承認欲求が満たされるとも限らない。
ましてや、自ら動いてない人でも、誰かから求められる人もいるとは思う。
残念ながら、世の中というのは不平等だし、残酷なものなのだろう。
だから、誰かを認める前に、そんな世の中を認めることこそ、承認欲求を満たす第一歩になるのかもしれないなとふと思った。
ある時期から僕はそんな世の中を認め、そして自分から動くようになった。
確実に20代より今の方が、満たされている感覚はある。
やはり自分から能動的に動くこと、その勇気を持つことが、よりよく生きるための重要な要因なのだろう。