五日目の朝に。
毎年、ヒットする小説がある。自分の中にだ。忙殺されてゆく夏期講習の中でそれでも心に引っ掛かる小説。十年単位で変わらない教材。兎に角、こなすことで精一杯になってゆく授業の中でそれでも、なんとなく気になり、タイトルを見て、作者を確認する。それは、タイミングの問題もあるが、毎年、違うからおもしろい。
民度が極めて低い校舎の最もテンションとリアクションの悪い、中二国語の授業で解説した問題。それが福田隆浩の熱風だった。聾学校のテニス少年の葛藤の話。抉る感情がよく書けていた。店頭ではあまりみないもので、更に調べるともう十年近く前に出版されていた。
経歴には聾学校に携わったことがあるとあり、やはりとカンキツは感じた。あまりにも描写がリアルで、経験者でしか描けない筆致だったからだ。けれど、専業というわけではなく、現役の教師だった。こういう路線がまずは手堅いなとカンキツは作戦を練り直す。それと、児童文学。この系統のストレートなパンチ作品のほうが、自分には向いているのではと。
カンキツ、実はすでに十数年近くの単位で書いていた、小説のようなものを。ただ、まったく世の中の評価基準にはそぐわないようで、特に本気で出品することもなかった。それに、選ばれている文学賞作品に触れたところで凄味はもう、二十年近く感じてなかった。
唯一、最近では、西村賢太を愛読していたがまさかの死ということで、完全に一人、海の中を泳ぐ海月になっていた。
そんなことより、今、目の前には、一年で最もキツイ夏期講習がはじまっている。しかも今年は三校舎移動の十コマ担当。この道、十何年のちょいベテランとはいえ、人気にもほどがある。
けれど、新任校長は転職マイスターの離婚歴多数な上、このクソ暑い最中にチャリ通勤なマイペース野郎。おかげこっちは、朝っぱらからの鍵開けで。まあ、一階の薬屋のお姉さんと毎朝、顔を合わせられるが。
同僚の理系講師は、感染騒ぎの疑いで、代わりにあすからの二期前半は、カンキツ、空きコマなしの移動となる。
もうお前なんか、消えちまえ。
このまま、塾講師を続けていくのだろうか。小説との兼業はありうる。作文授業の腕は天下逸品の日本トップレベル。というのも、都立中受検なんてものは、ニッチ中のニッチなのだ。十数年前に教えた生徒はもう三十手前になっている。
誰も真似できない寄り道を。
あらゆる環境で、執筆の腕を鍛えてゆくカンキツ。それはすでにあの学生の頃から片鱗が。
なんだ?この土地は。
民度が低過ぎるだろ?
生徒は砂を喰っている?
そんな塵たちにこんな高度なテクニック、わかるわけがない。
朝からカンキツは、全開だった。