Japanese数寄屋橋交叉点ちゃらんポン ~ルポ夜警sometimes作文系塾講師篇~ https://www.amazon.co.jp/dp/B0D888Z64Y?ref_=cm_sw_r_mwn_dp_206P1FTZY37TKVKHA4Q6&language=en-US
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小学生か中学生ぶりに短めにヘッドの周りを切ってもらったサキゾー。中年的澱みがスプラッシュした感があった。襟足ギザギザに、は、先に言うことを学び、スタンプカードにメモを施された。昼前後より、十五時過ぎが狙い目の空き具合と悟る。故郷の雨は長引いて、予定を半日遅らせ、あす帰京とする。それにしてもこちらは、物価が都内より百円から二百円は安い。商品ルートも違うせいか、珍しいものが多かった。三十四年続いたスーパーのファイナルをみてきたが、そこにはかなりの感慨があった。二十年前の写真風景は
秋晴れである。風がやや冷たいのが、やはり秋のよいところである。そう、咲藏は呟くお昼前に目覚める。洗濯機を回しておる。この間に自転車を飛ばして本屋へともおもったが、焦るのもどうかと自重し、洗濯物を干してからという選択肢を選ぶに至る。 手製の水出し茶をつくるも、微妙な装い。リピートは怪し。三分待てとは、言えど。舐めている龍角散シークヮーサー味に負けているようでは。それでも確かに、渋味は増してきたが。んんん、と言ったところで、驚くまではない程度。 出先の本屋にて、周りの浅過ぎる
veteranはベテランである。それはそれはもう、この業界においては、少なくとも、国のトップレベルの技術だった。けれど、それで極める気は、毛頭なかった。それよりも、圧倒的に極めたいものがあったからだ。小説家。いや、作家?本人の中ではまだどちらがしっくりくるかはわからない。はたまた、随筆家。が、あきらかに、ノンフィクションでは、言い過ぎだ。そこにちょっとしたアドリヴやアレンジは加えたい。さて、今後、どう世の中で読まれるか?そこなのである。誰の共感を帯びるか?咲藏自身は、日常での
始発から三時間遅れの二度寝をかました咲藏。 クーラーの切れた地下二階休憩室。 蟠(わだかま)る後悔を帯びながら、咲藏は受付へと向かうのであった。 日が昇ってしまえば、当初予定の富士そば への気力も失せ、冷蔵庫のエスプレッソをもとにソーセージパンで朝は片付けるのであった。 二度寝を反省するも、空いた朝の座席に据われれば、それもチャラになりそうな勢いで。三度寝の入り口まで来ているのであった。
咲藏、夜勤明けの朝。 四時から七時まで寝て、目が覚めた。このくらいで十分なのか。午前を有意義に過ごしたいと願いつつ、二度寝の沼に入ってゆく。ブーンブーンと洗濯機は全開に回っていた。
人として、ぶっ壊れていた。 眼鏡はずり落ち。 身体は公園臭くなり。 そりゃ、炎天下の夏、60勤務もしてりゃね。 一ヶ月30日ですから。 一方おばさんは、お婆さんに仕上がっていた。 咲藏の目の前を夢遊病者のように、挨拶もなく横切りながら。 どいつもこいつも。
咲藏、一週間ぶりの小六授業。最初は上擦っていたものの、段々と噛み合うように。奴等の作文も三枚めくらいで、やっと修正。中三は約一箇月ぶりであったが、もはや、国語はいらないだろ、という状態に。一人、咲藏の小説のタイトル換えの頻繁さに気づいている輩もいたが、その共感は興味へと変幻することを自覚。ただ、総括すると咲藏の頭の中の世界観回転のほうが速く、そこは今までよりも興味の薄れる場に成り下がっていたことは、否めなかった。それは実によい傾向である。 整備された都会の中で、すでに五日が
やはり、体裁する人間がいなくなれば、それはいづれ、土となってゆく。これは、人間自身にも言えることで。体裁できるうちに、自らで思考して、デザインしてゆこう。怠惰をかましていないで。咲藏は嘯くのであった。
可愛くないとなんとドラマもはじまる予感がせん。予告篇さえはじまらん。そこに景色を遮るだけの何かがある。それだけだ。左斜め前をみれば、今度は若い女が二人。さっきから、女ばかりみている気がしないでもないが。右は中の下。左は中の中。右の女はスリットから白脚が覗いているが、蚊に刺され過ぎだった。扉前に高校生カップル登場。下の中。咲藏は、静かに眼を瞑り、宴へのウォーミングアップに備えるのだった。思うに、色褪せた女との新展開なドラマはどう考えても次週お愉しみとはならんのだよ。最終判断は靴
咲藏、やはり、感慨は憶えた。 衝撃は大きい。
最低限のクオリティを越えていれば、 あとは世にだす手間を掛ければいいだけ。 縁もあり。 もし、クオリティのみの判断なら、 これ程、世の中がつまらないもので、覆われない。 チャンチャン。
大したことはない。 ただ、国葬を語れない校舎長が 多すぎることに、低能さを隠せない。 あぁ、哀しきや。