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「親近感」と「親和性」

熊です。

いつも通りに回りくどい話です。


協力前提の能力

多様性のある社会の実現や、
様々なマイノリティの社会適応の促進は近年のブームです。

主な議論の方向性は、
自身の「強みの開拓」「弱みの克服」です。

これらは当然重要なことですが、
協力前提の能力への意識も欠かせないと思います。

↓こちらの記事にも似ているようなことを書いた

我々の社会生活において、
何より大事なことは共通認識を作ることです。

本熊のNOTEにも何回か強調していることです。

マイノリティは生理的・心理的にマジョリティと違うため、
認知の共有が難しい場合は当然あります。

そこまで高くないが、
高めの知能を持っている方が一番成功しやすい、
とたまに聞きます。

おそらく、IQ115〜120を指している。

成功に関して、
量的にはそうかもしれませんが、
質的にはどうかな?

さらに、
「他人にとっての質」と、
「自分にとっての質」はどうかな?

山小屋と拉致された動物たち

例えば、森の中で山小屋を作りたい熊が居ます。
既にたくさんの山小屋を素早く作った人間も居ます。

熊はド素人で知識も体力もありません。

そこから筋トレをしながら、
人間社会に足を運び建築の技術を学ぶ。
さらに修業を通して経験を積むので、
森に戻ったのは20年後となった。

そして人手が足りないので、
森の中に生息している他の動物を拉致して働かせた。
・全体進捗管理係
・害虫駆除係
・資金調達係
・建材調達係
・医療保健係
・細部点検係
・飛行系は上空から点検(たまに落ちて骨が折れる)

こうやって10年かけて山小屋ができました。

ここで、
仮に建築技術レベルとして他の山小屋に劣っても、
仮に建築費用が山小屋の販売相場を遥かに超えたとしても、
この山小屋は熊たちにとってのベストです。

🐺チワワ「拉致されて10年も働かされるのか・・・」
🐻熊「最高かよ」

共通認識をどう認識するか

私たちはそれぞれ違う特性を持っており、
一般社会に評価されるような実績を、
全ての人が次々と出せないかもしれないが、
自分の人生の中で一番納得する実績を出すことはできます。

人間は生まれた時は一人であり、
最終的にも一人になる。

同じ一人でも、同じ人ではない。
人生で重要なのは量ではなく、質である。

人間社会の問題はいつも共通認識のズレから発生している。
共通認識すら作ろうとしないとより大きな問題につながる。

IQが140だろうが、160だろうが、
人間と共通認識を作るスキルを持っておらず、
そもそも共通認識を作る意識がなければ、
全ては徒労に終わる。

ここで重要なのが、
「理解してもらいたい」 ≠ 「共通認識を作る」
ことである。

他人の理解したくない/できない理由まで読み解け、
それを誘導することが共通認識を作ることです。

知能に関する話題もそうです。

知能に関する共通認識がないため、
いつまで経っても、知能に関する議論は不毛です。

人間はそれぞれ自分に利益のある立場(解釈)を選ぶからである。

厳しい言い方かもしれないが、
共通認識を作るつもりがないのに、
共通認識のない自分に利益のあることばかりを口にするのは災いの元である。

仕事ができない、
人間関係がうまく行かない、
これらは必然な結果です。

自分が属しているマイノリティは人口の何%を占めている、
という言い訳を探す暇があれば、
もっと建設的な行動をしましょう。

「知能テスト」と「学校のテスト」は何も変わらないのです。

テストはテストでしかない。
まして共通認識もない知能に関するテストは特にそうです。

「私、IQ130あるので、だから生きづらいのか」
という言い方は
「私、共通テストで満点なので、だから生きづらいのか」
「私、東大卒なので、だから生きづらいのか」
と同じような支離滅裂な言葉です。

では、IQ130と共通テスト満点と東大卒を同じ組織に入れて、
それでも三人がうまく行かなければ、
結局どう解釈するのか?

他人より優れた才能や、
他人にはない才能を持っている場合、
人間はそれらを防衛の手段として使う。

何を防衛するかというと、自尊心です。

「こんなはずじゃなかった」
自分に都合の良い想像から生まれた不平不満を無くそうとする。

より良いプロセスを編み出し、
より良い結果のために人々を結束させる意識がなければ、
点数はただの点数です。
言い換えれば、自己満のネタです。

人間関係を構築する際に、
「親近感」より、
「親和性」を意識しよう。

親近感と親和性

マイノリティがよく陥る罠としては、
親近感のある人ばかりと親交を深めることです。

親近感をもう少し具体化しよう。

人間が親近感を感じる場合は、
自分と同じ認知の仕方を持つ人と出会う場合である。

自分と同じ認知の仕方を持つことは、
同じ生理構造かつ同じ経験を持つことを意味する。

その人々と接することで心地良さは感じるが、
それ以外の場合は目が死んでいるでしょう。

苦手なことを避けているし、
苦手な人間関係はすぐ断ち切ったのに、
いつまで経っても自分だけ孤立されている感じがする。

「仲間」と一緒に居ると安心するが、
「仲間以外の人間」と接するときの孤独、不安、虚しさも、
同時に頭の中に存在している。
いや、むしろ増えていく。

一人の時間、仲間と一緒に居る時間は大事ですが、
それ以外の時間に対する認識も大事です。

仲間を見つけること、一緒に居ることは嬉しいこと。

一方、
「仲間と思っていなかった人」を、
「仲間と思えるようになる」ことはどんな気持ちだろう。

🐻熊「最高かよ!」

全ての人がそうなれるわけではない。
なれる人、なってくれる人は「親和性」のある人。

親近感の場合、
お互いに持っている能力もアイディアもかなり近い。

親和性の場合、
あくまで共通認識の元で結合しているため、
様々な能力のシナジー効果を狙うことができる。

「親和性」のある人々と共に行動すると、
より大きな成長に繋がり、
様々な社会貢献ができ、
より大きな達成感を得られる。

いきなりマジョリティとの親和性を聞いたら、
失禁しそうなハードルに感じるかもしれないので、
「親近感」レベルを落としつつ、
人間関係を作っていきましょう。


ではでは🐻

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熱帯雨林の熊
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