関西ひとり旅②京都・太秦広隆寺であの国宝を拝観
前の記事のつづきです
同じ路線の、広隆寺前駅で下車。
大陸から大勢で渡来し、先進文化を日本に伝え、産業発達に貢献してきた秦氏の氏寺。
養蚕機織、酒造、農耕、土木技術などに長け、和をもって貴しとなす、聖徳太子の理想の実現に尽力した秦氏。京都のこの辺り一帯は「太秦」という地名通りの土地。シルクロードの東の果てにたどり着いた秦氏は、失われたレビの一族とも言われていますね。
こちらの講堂は重要文化財で、1165年に再建された京洛最古の木造建築。
当時の日本は国際色豊かで、いろんな国の信仰・文化・民族・産業技術を受け入れて調和してきたんだなぁ…と感じながら、参拝受付に向かいます。
車折神社から下鴨神社への移動経路上にあり、時間が少しあったから成り行きでたどり着いたけど、やっぱり真言密教には縁があるなぁ。
当時の大陸で何があったのか、日本海を渡るリスクをおかしても、東へ向かう理由があったんだろうなぁ。818年に火災にあったけど、秦氏出身で弘法大師の弟子の僧都によって再興されたとか。
9:00、一番乗りで参拝受付を済ませ、新霊宝殿へ。
私のほかには、日本人の修学旅行生と大人の旅行者が数人いるだけ。仏教美術鑑賞には、静かで最高のコンディション。
国宝は20点、重要文化財は48点。文化財保護のため照明は暗めですが、素晴らしい国の宝が、コの字型の順路にずらりと並んでいます。
毎度のことながら、仏の世界にHSP/エンパスが同調すると、時空の感覚が歪みますね。うわ…時間に気を付けて、自分。
義務教育の教科書やCMで、あまりにも有名なこの方が中央に。
国宝第一号の弥勒菩薩像は、あまりの美しさに無意識でとびついた人が昔いて、小指が折れたことがあるそうです。(厳しめの警備体制も納得)
ほっそりして気品のある体躯とほほえみは、まさに現世の天上界。
靴を脱いで畳に上がり、座ってじっくり拝観しました。
いろんな角度から見てみるけど、本当にどの角度からも美しいです。
他の国宝級の仏像も、やはりシルクロードと秦氏の歴史が重なるものが多く、大変文化的に貴重かつ情報量が多い空間でした。山城が京都になる前からの、仏教。
平安遷都には公共土木技術に強く、政治的に影響力がある秦氏の力は欠かせませんよね。(昔も現代も)
敏感な方なら、歴史と信仰の重みに圧倒されてしまうかもしれません。
観光のお寺ではなく、主要な観光地からもすこし距離があるので、本当に静かでした。国宝・重文・仏教美術が好きで、なおかつ秦氏にルーツがある方は、然るべきときに導かれていくお寺だな、という印象を受けました。
この記事を読まれて、ピンときた方はぜひお参りしてみて下さい。
あと、私は現在40代ですが
コロナ禍で旅行ができなかった間に、老眼が進んでる(OMG!)
霊宝殿の中は暗いので、明るい外から入るとピントが合いにくい。
暗くても鮮明に見えた昔にくらべ、視力の低下を実感。
まだ老眼鏡を作るほどではないけど、「近くも遠くも見えなくなってきた」と嘆いていた50代の上司の言葉を思い出した。
こうやって、いつの間にやらあちこち歳を取って、旅行に行くのも体力的にしんどくなっていくんでしょうね。
いつか見たい国宝は、視力があるうちに、お早めに!
もっと時間をかけて見たいところですが、このあとすぐ移動して10~11時の間に社頭の儀の受付をしなくては。
サラッと拝観を終え、トイレをお借りしてから広隆寺をあとにします。
拝
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つづく