箱の中の犬の話-下
箱の中に入れられた犬の話の続きです。前の話↓
箱の中の犬の話 上↓
https://note.com/rainbowlabo/n/n026071c3520b
ふと目覚めた。猫が深い眠りにはいって、大胆に僕の鼻先に背中を押し付けてきたから、苦しくなって目覚めた。
僕はそっと顔の位置を変えて、丸くてふさふさした猫の背中を鼻先じゃなくて、ほっぺたで受け止めるようにした。そして猫の背中をなめてやった。すると、静かな寝息はごろごろごろという不思議な音に変わり、猫とくっついている僕の体の中にもその音が伝わってきた。
不思議な音が僕の体の中の、骨とか水分とか、硬いところ、柔らかいところに伝わって、僕は体が一つの塊ではなくて、いくつか質の違うものでできていることに気づいた。ごろごろごろって音を聞きながら、僕は僕の体の中に耳を澄ませた。僕は自分が犬だと思ってたけど、ごろごろごろの振動を感じていると、僕はほんとは犬じゃないのかもしれないと思い出した。僕はほんとうは水なのかもしれない。僕はもしかしたらコップなのかもしれない。僕はもしかしたら水の入ったコップみたいに、いろんなものが一つにより集まったものなのかもしれない。
ごろごろごろが僕の中のいろんなところを揺らしている。猫は不思議な生き物だな。なんだかとても気持ちよくなって僕はまた眠ってしまった。他の生き物とくっついているのはとても素敵なことだな。
次に目が覚めたのは、背中の一部が熱くなったからだ。もちろん、眠っていた時も僕の耳は起きていた。だから深い眠りを振り返れば、カリカリした音がガリガリした音に変わったことも思い出せる。
飛び起きると、目の中に眩い光が差し込んで、クラっとした。猫の匂いがまだすぐ近くにある。そして、風の動きを毛先で感じる。外の匂いがする!
眩しさに目をしばしばさせて見たのは、猫の黒いシルエット。そして、その向こうから差す光だった。
箱の壁に小さな穴が空いていた。猫が壁をビリビリにして、とうとう突き破ってしまったんだ。猫はオレンジ色の毛で輪郭を煌めかせてこちらをじっと見ている。
ニャー
猫の言葉がわからない。けれども、僕はその時、わからないその言葉を僕なりに解釈して、猫に向かってワン!と鳴いた。
猫はくるっと振り返ると、ますますガリガリと箱の壁を壊しにかかった。執拗にガリガリ削りつづける。ボロボロになった壁にほんの少しでも穴が開いたら、さらにもっと熱を込めて削ろうとする。見えないけれど、猫の目は爛々と輝いていたことだろう。夢中になって止まらなくなった獣のシルエットの全貌がとうとう見えた時、その荒々しい獣はふと動きを止めて、優雅に爪を舐めてから顔をなでると、猫らしいおすわりをしてこちらを見た。さっきまでの情熱はすっかり消えてしまったように見えた。そして、猫は問われていない問いの答えをじっと待つように僕を見ている。
僕はこの箱の中でずっと、おとなしくお利口に待っていたんだ。箱に入れられたのは、僕が何か悪いことをしたからなのだろうか、僕はいつかこの箱から出してもらえるのだろうか、そう思いながら。与えられたご飯を食べて、許されるのを待っていた。
けれど、僕は、ほんとうは何をしていたんだろう。この箱の中で、ほんとうは何を待っていたんだろう。誰が僕を許さなかったのだろう。
猫はバラバラになった箱から外に出るわけでもなく、その残骸の上で、ふたたび丸くなって眠ってしまった。というか、もうここは外だった。
僕は立ち上がって猫の顔を舐めてみた。猫はまたごろごろ音を出したが、僕の顔を前足で無作法に押し返すと、舐められたところを自分で舐めてきれいに整えて、また眠りに落ちた。
ワン
と、僕は鳴いた。ワオーン、ともう一度鳴いた。そして、僕は、よし、あの光の射す方へどこまでもいってみようと決めて、ワクワクしながら走り出した。
2021.11.12
「箱の中の犬の話」山下月子
(完)
☆☆☆あなたの中に存在する 人と犬と猫のために☆☆☆