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【実家の介護未満】今の話。ホネを大切にする優しい娘の巻

今日は思い出ではなくて、リアルタイム投稿。

とはいえ、ついこの間あった話を書こうとしてる。ほんとのリアルタイムはバスに乗ってまーす。旅行中の妹の代わりに父の老人ホームに差し入れに行ってきた。これから実家に行く。

この間まで、実家に母のお骨があった。今はない。この間納骨式と法要を済ませたから。

1週間くらい前、父が、母のお骨が家にあるうちにもう一度実家でお線香をあげたいと言って、介護タクシーで実家に来た。わたしもそれに合わせて実家に行ったから、何年振りかで家族四人が実家で顔を合わせたことになる。私が一人暮らしを始めたのは三十路前くらいだったか。父が入院先から特養へ。母が入院先からとうとう天国へ旅立ち、今は妹が一人で住んでいる実家。まあ母はお骨になってしまったけど、戻ってきた。そこへ父が一時帰宅したから、おっ!四人集まった!すごいすごいと言い合った。ほんの数時間だけど、多分これ人生最後よね?と思った。

妹はずっと実家で母と暮らしていて、それが苦労だった時もあると思うけれど、母が家からいなくなって、意外にママっ子だったことを自他共に気づいた。だからお寺に納骨してお骨が家からなくなるのを寂さびしがっていた。いつもお骨にはなしかけながら49日を過ごしたという。ええ子やな。「ホネがなくなるの寂しい」と言ってた。なぜかお骨のことをホネと言う。「ついホネじゃなくて遺影の方みて拝んじゃう」とか、「ママのホネがなくなったらさびしい!」って言ってた。
近所の人たちも「お骨」が実家に戻って、お参りしにきてくれる人が多かったし、一度お参りしてくれた方も納骨の前に再びお参りにきてくれて、私のような常識を知らない輩としては学ぶことが多かった。

(浄土真宗なので、もう亡くなった瞬間に仏になってしまったと聞いた。でもやはり物質というのは存在が強いんだな。生きてるっていうのはこの体という物質と共に生きているのだものな。もし私が死んだとして確かに自分の体には愛着が残るだろうとも思う。残ったお骨は故人の依代としてこうして大切に扱うものなのだな。と、心の中で感心している私がいる。私としてはそこらへんにふわふわしているほうの母の存在を感じていていたから。でも、生きている(いた)人とのお別れを考えたら、徐々にそれに慣れるために四十九日必要になるのだろう。わたしはお別れした気がしていないから、ぼけっとしているのかもしれない。)

納骨式の朝、父は直接お寺に集合するから、私と夫と妹が実家に集まった。妹は「昨日ママの家ツアーしたんだよ!」と私たちに言った。なんのこっちゃ?と思ったら、妹は母のお骨を抱いて家の中の部屋ひとつひとつをまわって見せてあげたのだそうだ。母が結婚してからずっと住んできた家。妹がこの世に産まれてから今までのほとんどを母と一緒に住んできた家。母が入院したとき帰りたかった家。思い出がつまった一つ一つの部屋を、母のお骨を抱いてツアーしたのだそうだ。

泣ける!本人も泣いてたらしいけど、ええ娘や!

四十九日に合わせてたくさんお花やお線香が届いた。母はみなさんに好かれていたのだなと思った。母に代わって感謝しています。


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