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読書日記『わたしの美しい庭』

「悪縁」

意味/よくない縁。断ち切らないと悪い結果をもたらす条件。また、関係を断とうとしても断つことのできない男女の縁など。腐れ縁。

悪縁とはなんだろう。
ただ、苦手な人だからといって、悪縁にはならない。
物語の中で、登場人物が悪縁に絡まれていると思いながら読んでいても最後には悪縁ではなかったなと思うこともあった。

縁とは不思議なものである。
良縁も悪縁も。答えは結局出ないまま。

なぜ、縁について思いふけっているかというと、今回読んだ『わたしの美しい庭』は、美しい庭に祀られる神社を片隅に進んでいく物語だから。その神社は悪縁を断つ縁切り神社であるから。


物語はそんな縁切り神社が建てられるアパートに住む人々と、結び付けられた縁が描かれている。

この物語を読んで、私の中に響いたことがある。

関係はどんな人とも築いていいし、どんな手も掴んでいいということ。
世間的には夫婦、親子、友達、先輩、後輩、、、いろんな関係に名前がついているけれどそんなのは気にしなくていいということ。
関係は自分達でつくるものだということ。

私はこの考えに打たれて自分の世界が一気に広がったように感じた。多くの人は普段を狭いコミュニティの中で過ごしていると思う。
仕事や学業の激務の中でそのコミュニティを広げたり、違うコミュニティに参加するのは様々な制限がある。時間やお金、交通手段の問題などなど。

だけど、今、電車で隣に立っている人やスーパーの店員さん、そして、世界の裏側にいる人、誰とでもどんな関係でも築いて良い世界に私はいるのであれば、そう考えるだけで大きなモノから解放された気がする。

まぁ、いきなり隣の人に話しかけたり、店員さんと友達になろうとはしないし、思えないけれど。

あらすじ

小学生の百音と統理はふたり暮らし。朝になると同じマンションに住む路有が遊びにきて、三人でご飯を食べる。百音と統理は血がつながっていない。その生活を“変わっている”という人もいるけれど、日々楽しく過ごしている。三人が住むマンションの屋上。そこには小さな神社があり、統理が管理をしている。地元の人からは『屋上神社』とか『縁切りさん』と気安く呼ばれていて、断ち物の神さまが祀られている。悪癖、気鬱となる悪いご縁、すべてを断ち切ってくれるといい、“いろんなもの”が心に絡んでしまった人がやってくるが――
ポプラ社・内容の紹介より
https://www.poplar.co.jp/book/search/result/archive/8008272.html

『わたしの美しい庭』
著者 / 凪良 ゆう

•引用:goo辞書

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