「さらばシベリア鉄道」から「君は天然色」へ ~死と再生、そして…~ (序)
ことしは、松本隆作詞家生活50年。新型コロナウイルスの影響でアナウンスこそされなかったが、記念企画が予定されていたようだ。
松本は、大瀧詠一・細野晴臣・鈴木茂と“日本語によるロック”バンド〈はっぴいえんど〉で活動をともにしたが、彼らをつなぐきっかけは宮沢賢治の作品と言われる。
とりわけ大瀧は、宮沢賢治と同じ岩手県に生まれ、多感な時期を“賢治のふるさと”花巻で過ごした。
宮沢賢治が世に知られ、その後の賢治研究の出発点となったのが、筆者の大伯父東光敬(あずまこうけい:大正2年~昭和21年)著「宮沢賢治の作品と生涯」(百華苑/みすず書房刊)。
現在同書は諸般の事情で市中に出回ることがほとんど無く、光敬の名も歴史に埋もれつつある。
松本が大瀧とタッグを組んで1980年に発表した「さらばシベリア鉄道」。このタイトルは賢治の作品「樺太鉄道」に多大な影響を受けたようだ。
光敬の著書には、その樺太鉄道が生まれるきっかけとなった宮沢賢治の妹とし子の死について多くのページが割かれている。
大瀧が生前最後に出演したラジオ番組で言及したのも、宮沢賢治の死とはっぴいえんどの解散、そして自らの死だった。
光敬と賢治、松本隆、大瀧詠一。
それぞれを結びつける“偶然の一致”…。
キーワードは、死と再生。
新型コロナウイルスは私たちの日常が死と隣り合わせであることを知らしめることとなった。
光敬は、賢治は、松本は、そして大瀧は「死」とどう見向き合い作品へと昇華させて行ったのか?
本ブログで深掘りを試みる。