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カウンセリングで初めて
「劣等感コンプレックス」「優越コンプレックス」
なるものの話をされた
でも何だか難しすぎてよく理解できなくて
険しい顔になってしまった

カウンセリングルームの
私から左側に見える位置に小さな時計があるので
理解しようとしているうちに 時計が気になってしまい
あ、もう時間がないなとか
まだ話してないことあるなとか
次の人きちゃうとか
余計な事を考えているうちに
理解できないままカウンセリングは終わってしまった

帰り道 
「劣等感コンプレックス」「優越コンプレックス」について調べた
そして私の永遠の課題の「特別視されたい」という気持ち

【劣等感コンプレックスとは】
自分が他者より劣っていると感じながら、それを認めないこと。すべての人は何らかの劣等感をもち、それを補償しようとして「権力への欲求」が働くとした。

やさびと心理学

うーん。。
私は自分が劣っていると感じているのに
それを認めることができていないのか
十分認めていたつもりだけど
それは受け入れていたわけではないのかな

そして大きな課題の
「特別視されたい」という思い
私の中で 
なぜ自分がいい意味でも悪い意味でも
「特別視されたい」「特別視されている」と思うのかが
長年不思議だったのだ

きちんと扱ってほしい、挨拶をちゃんとしてもらいたい
先生から見て特別な存在でありたい
私は悪目立ちしてるに違いない みんな私を好きじゃないんだなどと
フラットに現実を見ることができず
心のどこかでいつも自分を特別視してもらいたいという気持ちが渦巻き
そのせいで
求めすぎたり 期待しすぎたり 憤慨したり 落ち込んだり
かまってちゃんのような気持ちになり
それを心の中のもう一人の自分が
冷めた目で見てちくちく苦言を呈してくるのを繰り返している
たぶん

特別視されることでしか、自分の価値を感じられないから

これなんだと思う

趣味に力を入れてきたことも
それが無くなったら自分に価値がないと思うことも

そのままの自分には何一つ価値がないと思って生きてきたからだ

趣味で称賛される度に
私は他人軸の喜びをかき集めて抱えてきた
一粒でもこぼれたら
自分の価値が無くなってしまうと怖がり
それを奪われるのではないか
もっと増やさなければならないのではないかという思いでパンパンだった
そして全てこぼれ落ちて無くなった
自分で無くしてしまったのだ

何も無くなった自分になった私は
自分に価値を見出せなくなった
いや 
小さい頃からずっとそうだ
何か出来ていないと生きていてはいけない
誰にも受け入れてもらえない
そう思って生きてきた

朝起きて 仕事に行き 仕事をして
帰宅して 家事をして 寝る自分には
生きている価値がないと思っていたし
今もまだそう思っている

毎日が恐怖と不安しかなく
自分で自分の価値がわからず
他人からのわずかな称賛だけを握りしめて
生きてきた
だから生きるのがとても苦しい

朝起きた瞬間から夜寝るまで
ずっと苦しい

これを少しでも緩和させるには
自己受容が必要だと言う

だけどわからないのだ
何もないそのままの自分を受け入れることが
吐くほど難しい

優しい言葉をかけるなんて
難しい
自分を優先させるなんて難しい
無価値な自分を好きになるのは
とてもハードルが高い

今日も趣味の練習会
好きなことなのに
今から吐きそうだ
なんでだ



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