見出し画像

年始に見た番組や作品の感想まとめ

 おはようございます。
 いよいよ仕事始めだと奮起していつも通り出勤したら、今日は10時から始業だったてんぐです。いやあ、すっかり忘れてましたよ。

 さて、この年末年始休暇の後半戦、年明け以後も色々な番組や作品を見てきましたが、記事として取り上げられなかったものも色々あります。このリフレッシュ休暇を反芻するのも兼ねて、今日はそれをザッと振り返ってみたいと思います。


埼玉県政財界人チャリティ歌謡祭

 日経が奇祭について記事を書いたのには驚きましたよ。まあ、出場者の顔ぶれを考えれば、確かに日経向きかなって気もしますが。
 そんな奇祭ですが、昨年は能登の震災もあったし放送が一週間繰り延べになりましたが、今年は例年通りに酒とおせち料理を並べながらつつがなく楽しめました。こういうのって、心が和みますなあ。
 あと、清水園の女帝志摩子様は、いよいよ大物歌手のディナーショーか何かにしか見えません。

箱根駅伝

 買い物もありましたし全区間視聴とはいきませんでしたが、それでもかなりの部分は見れました。勝負の流れの変化、そしてタスキをつなげなかった選手の悲哀。こういう光景を見てると、お正月は駅伝という、普段と変わらないお正月を満喫できることの良さを感じます。
 と言いつつ、青山学院大の大会新での優勝の瞬間はトイレに行ってて見逃したんですが。

とんねるずのスポーツ王は俺だ!

 埼玉の奇祭や箱根駅伝と並ぶお正月の定番であるスポーツ王ですが、今年も面白かったです。考えてみれば、この番組に出るアスリートだって、テレビの視聴者でもあるわけで、そうなるとテレビでずっと見てたこの番組に出たいなって思ってても不思議はないんですよね。で、そのとんねるずの二人にしても、結構ガチ目のスポーツファンでもあるわけで、だからこの番組は噛み合うんでしょうなあ。
 さて、今年の目玉はパリ五輪メダリスト大集合SP。あのオリンピアンたちが、完全に「いい歳をして子供みたいにムキになってる大人」になってる光景は、スポーツの原風景でした。そうだよなあ、アスリートだって、最初は小学校とかでこんな風にムキになってるのが競技人生のはじめの一歩だったんだろうし。
 また、フェンシングvs剣道とかフェンシングvs盾装備とか、あるいは本職vs近代五種のフェンシング対決とか、「これ実際やったらどうなるんだろう?」を実際にやってくれたのも見ごたえありました。
 もちろんリアル野球BANも楽しかったですし、見逃したって人は1/7から2週間限定の見逃し配信でご覧ください。

俺たちに明日はない

 大みそかの深夜24時というか、元旦になった瞬間からWOWOWプラスで放送されていた名作映画「俺たちに明日はない」も、この年始に少しずつ録画視聴してました。
 新年早々にノーフューチャーな邦題もあったもんだなとは思いましたが、それでもクラシックな名作映画ってのは良いものです。実は、これは去年見た風と共に去りぬと同じく、タイトルは知ってるけど腰を据えて見たことはないって作品でした。
 そんな「俺たちに明日はない」ですが、ボニーとクライドに感情移入させまいというのか、その凄絶な最期にしても「死ぬべきものたちがそうあるべき死にざまを晒した」と結構ふたりやその仲間たちを突き放した作り方をしてるんですよね。
 このドライな雰囲気が結構心地よかったですし、それがこの映画を世代を超えて愛される所以でもあるんでしょうか。

伝説巨神イデオン接触編&発動編

 最近はクラシックな傑作のyoutube期間限定無料配信が流行りですが、この年始には劇場版イデオン二部作も配信されてました。
 俺たちに明日はないと同じく「知ってるけど腰を据えて見たことはない傑作」枠ですが、登場人物全員死亡どころじゃなく銀河系レベルで人類が消し飛んだ超展開は、容易にコメント出てこないですな。まさに伝説です。
 地球人類とバッフ・クランが互いに抱き合う恐怖心由来の攻撃反応は、「三体」でもお馴染みの暗黒森林理論にも通じそうです。イデもそれを見て匙投げちゃったのかもしれませんが、その結末が人類補完計画の元ネタってのはヤケッパチというかなんというか。あるいは、宇宙世紀ガンダムで提唱されたニュータイプの行き着く先って、こういうことなのかもしれません。そうなると、視聴者の多くも作中の地球圏の人々も付き合いきれないでしょうな。
 それはそれとして、本家本元のトミノ節って、実は舞台劇っぽい言い回しに聞こえました。なので人と人のコミュニケーションとしては難がありすぎるんですが、案外耳に心地よいんですよね。

べらぼう~蔦重栄華乃夢噺

 今年の大河、べらぼう1話も視聴しました。
 今回の脚本は森下佳子、おんな城主直虎の人です。その直虎で「戦国絵巻」というファンタジアを解体したように、このべらぼうでは、「花のお江戸」あるいは「時代劇」というファンタジアを解体しようとしてるのかもしれません。
 こういう作風って、ちょっとノイエ銀英伝、特にジェシカ出馬エピソードやローエングラム体制下でのオーディンの悲喜こもごも、魔都フェザーンの闇、幼帝亡命に揺らぐ同盟社会といったエピソードのコンセプトとも似てますね。
 なのでてんぐとの相性は、それこそべらぼうに良さそうなんですが、同時にこれは大変に“厳しい”大河ともなりそうです。
 生きる限り業の塊となっていく生き物としての人間、その集合体としての社会を描き続ける。
 その姿勢から一歩でも引いたら、多分この大河は失敗します。そもそも、天下泰平の江戸時代中期という時代を舞台にしてる以上、戦という逃げ場はないんですから。
 その逃げ場のない大河というコンセプトを可視化してるのが、塀や堀で囲まれた吉原の光景なのかな、とも思えました。

いいなと思ったら応援しよう!

この記事が参加している募集