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演劇論と計算論① 演じること、計算すること
「演じる」とは何か。「計算する」とは何か。今回はメインテーマであるこの二つについて考えていきます。
↓は前回の記事です。
演じること
トム・クルーズがイーサン・ハントを演じる、ダニエル・クレイグがジェームズ・ボンドを演じる、ジェイソン・ステイサムがデッカード・ショウを演じる。シンプルですね。ある人(役者)が別のもの(キャラクター)になりきって喋ったり動いたりする。ざっくりと、これを「演じること」としましょう。映画であれ舞台であれアニメであれゲームであれドラマであれ、この定義に大きな違和感はないと思います。
そして、多くの場合、演じる人(役者)は現実の存在であるのに対して、演じられる人(キャラクター)は架空の、空想上の、フィクションの存在です。もちろん、大河ドラマのように過去に実在した人物を演じることもありますが、話をシンプルにするためにここではキャラクターがフィクションである、すなわち現実には存在しないものとします。図に表すとこんな感じです。
![](https://assets.st-note.com/img/1653225162658-XOcQvfIJS8.png?width=1200)
計算すること
「計算」といえば何を思い浮かべるでしょうか。タイトルを見て「演技、すなわちそれは計算高いこと」みたいな話だと思った方もいるかもしれませんが、そうではなく、ここでいう「計算」は
$$
1+1=2\\
3 \times 5=15\\
x^2+3x+2=(x+1)(x+2)
$$
のようなものを指します。懐かしいですね。
さて、小学生、中学生の頃はこういうのを手で地道に計算していましたが、人間よりももっと速く、正確に計算してくれるものがあります。コンピュータです。そして、こういう計算(処理)を集めて人間に便利な機能を提供してくれるもの、これをプログラムと呼ぶことにしましょう。この記事を書いているnoteは「記事を書いたり閲覧できるプログラム」ですし、もしこの記事をパソコンで見ているのであれば、「いろんなウェブサイトを閲覧できるプログラム(ウェブブラウザ)」を使っていることになります。そして、このプログラムを実行している本体が「コンピュータ」です。iPhoneとかMacBookとか、ChromebookとかWindowsパソコンとか、プログラムを実行できるものをコンピュータと呼ぶことにします。
「Twitter」を例に、コンピュータとプログラムの関係をもう少し深く見てみましょう。おそらく多くの人がTwitterをiPhoneやAndroidスマホにインストールしていたり、あるいはパソコンから使っていることと思います。noteの例と同じように、「コンピュータ(iPhone、パソコン)がプログラム(Twitter)を実行している」というという図式です。
さて、ここで「iPhoneは現実に存在するものである」ことに、まず疑いはないと思います。実際に今、手に触れていますものね。では「Twitterは現実に存在するものである」はどうでしょうか?例えば、Twitterのメイン機能である「ツイートする」という行為。その内実は「短めの文章を書いてインターネットに公開する」ことですが、別に「短めの文章を書いてインターネットに公開する」ためにTwitterをやっているという感覚はあまりないのではないでしょうか。そうではなく、「Twitterという世界の中で、誰かの発言や考えを聞いたり、コミュニケーションをとったりする」ことが多くの人が求めるところなんじゃないかと思います。つまり、もしもTwitterという世界、概念がなければ、ツイートするという行為は意味のよくわからないものになってしまうということです。これは例えるなら、もしも007という映画の設定がなければ、ジェームズ・ボンドが銃で敵を倒すという行為が、現実にはなんの意味もない(どころか、間違えれば危害にもなりうる)ものになってしまうのによく似ています。
ここまでの議論を要約します。
「計算」とは、コンピュータがプログラムを実行することであるとする
役者とキャラクターの関係と同じように、「現実の」コンピュータが「なんらかの意味を与えるものとして」プログラムを実行する
文章だと少しわかりにくいですね……。「演じること」と同じように図に表してみましょう。
![](https://assets.st-note.com/img/1653228897276-uK6HQynhe8.png?width=1200)
念のため、ここでいう「コンピュータ」や「プログラム」は厳密な用語ではありません。あくまで今回のテーマである「演じること、計算すること」を議論しやすくするために用意した考え方、概念だと理解してください。
演じること、計算すること
演じること、計算すること。ここで改めて二つの図を並べてみましょう。
![](https://assets.st-note.com/img/1653225162658-XOcQvfIJS8.png?width=1200)
![](https://assets.st-note.com/img/1653228897276-uK6HQynhe8.png?width=1200)
役者がキャラクターを「演じる」。
コンピュータがプログラムを「計算する」。
似ているような、似ていないような。そもそも似ているからといって何なのか。この時点だとまだよくわかりませんね。
演じること、計算すること。今回導入した二つの図式を用いて、「役者とキャラクター」「コンピュータとプログラム」の間にどんな面白い現象が、関係が、あるいは限界があるのか、これから探検していきたいと思います。
次回予告
役者がキャラクターを演じるといっても、役者が何でも自由にやるわけじゃない。コンピュータがプログラムを実行するといっても、いいかげんな計算をされては困る。そう、演技には「シナリオ」が、プログラムには「ソースコード」が必要なのです。
次回、「シナリオとソースコード」。
この次も、サービスサービスぅ!