母親の還暦祝いにて
僕は愚痴が言いたくなる息子です。
*
先般、母親の還暦祝いをした。
小洒落た日本料理屋を予約して、
大して量も無ければ、味も良くない。
僕が味音痴なんだろうけれど、
あの高い金額を払うのであれば、
ケンタッキーをたらふく食べる方が良い。
黙々と1人で。
僕は家族での会食が苦手だ。
母親はお酒を飲むと、
決まって僕の子ども時代の愚痴を始める。
兄弟より成績が良かったくせに、
誰よりも落ちぶれたから。
「あんなに賢かったのに…」
「京大とは言わんけど…」
「高校を間違えたのかな…」
などなど。
味気のない日本料理が、
ますます無味になってしまう。
時間が過ぎるほどに、
早く帰りたいと思える。
そんな僕の心境とは裏腹に、
母親は僕の愚痴を話し続ける。
兄の奥さんに話したり、
弟の奥さんに話したり。
僕の過去の話のはずなのに、
母親の方がよく覚えている。
つくづく歪んで愛されている。
*
日本料理はコースメニューで、
ゆっくりとゆっくりと料理が運ばれる。
母親に時間を与えるように。
本来間違いではない。
還暦祝いの席で、
矢継ぎ早に料理は来ない。
積もる話があって、
良い話ばかりで皆が笑顔。
僕ももちろんTPOを弁えて、
笑顔でキチンと対応はする。
と言うよりかは、
そうするように育ったのかもしれない。
穏便に周りに合わせて、
良い子を演じて、それがベースになった。
母親は僕の素性を知らないだろう。
*
母親が散々に僕の愚痴を言って、
最後はデザートが並べられた。
テーブルを綺麗に彩る、
盛りだくさんのフルーツたち。
デッサンするにはちょうど良く、
ピカピカに輝いていて眩しい。
そんなフルーツを横目に、
過去に溺れていく僕。
その美しいフルーツを、
汚れた人たちが次々に食らう。
「汚いな」
独り言を言いそうになり、
グッと気持ちを堪える。
汚れているのは、
僕の過去の方だと思うから。
*
それでも、
両親を嫌いにはなれない。
育ててくれた恩がある。
歪だとしても、
そこに確かに愛はあった。
だから愚痴くらいは聞こうと思う。
僕の過去が腐ってしまったことも、
事実は事実だし。
母親は僕ではなく、
僕の成績を愛していた。
優秀な僕が好きだった。
それでも良い。
ただ僕は同じ轍を踏まない。
娘は娘として、
キチンと見ようと思う。
それでも娘が僕と同じ立場になった時、
娘はやはりnoteに綴るのだろうか。
メガッパ
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