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母親の還暦祝いにて

僕は愚痴が言いたくなる息子です。

先般、母親の還暦祝いをした。

小洒落た日本料理屋を予約して、
大して量も無ければ、味も良くない。

僕が味音痴なんだろうけれど、
あの高い金額を払うのであれば、
ケンタッキーをたらふく食べる方が良い。
黙々と1人で。

僕は家族での会食が苦手だ。

母親はお酒を飲むと、
決まって僕の子ども時代の愚痴を始める。

兄弟より成績が良かったくせに、
誰よりも落ちぶれたから。

「あんなに賢かったのに…」
「京大とは言わんけど…」
「高校を間違えたのかな…」
などなど。

味気のない日本料理が、
ますます無味になってしまう。

時間が過ぎるほどに、
早く帰りたいと思える。

そんな僕の心境とは裏腹に、
母親は僕の愚痴を話し続ける。

兄の奥さんに話したり、
弟の奥さんに話したり。

僕の過去の話のはずなのに、
母親の方がよく覚えている。

つくづく歪んで愛されている。

日本料理はコースメニューで、
ゆっくりとゆっくりと料理が運ばれる。

母親に時間を与えるように。

本来間違いではない。

還暦祝いの席で、
矢継ぎ早に料理は来ない。

積もる話があって、
良い話ばかりで皆が笑顔。

僕ももちろんTPOを弁えて、
笑顔でキチンと対応はする。

と言うよりかは、
そうするように育ったのかもしれない。

穏便に周りに合わせて、
良い子を演じて、それがベースになった。

母親は僕の素性を知らないだろう。

母親が散々に僕の愚痴を言って、
最後はデザートが並べられた。

テーブルを綺麗に彩る、
盛りだくさんのフルーツたち。

デッサンするにはちょうど良く、
ピカピカに輝いていて眩しい。

そんなフルーツを横目に、
過去に溺れていく僕。

その美しいフルーツを、
汚れた人たちが次々に食らう。

「汚いな」
独り言を言いそうになり、
グッと気持ちを堪える。

汚れているのは、
僕の過去の方だと思うから。

それでも、
両親を嫌いにはなれない。

育ててくれた恩がある。

歪だとしても、
そこに確かに愛はあった。

だから愚痴くらいは聞こうと思う。

僕の過去が腐ってしまったことも、
事実は事実だし。

母親は僕ではなく、
僕の成績を愛していた。

優秀な僕が好きだった。

それでも良い。

ただ僕は同じ轍を踏まない。

娘は娘として、
キチンと見ようと思う。

それでも娘が僕と同じ立場になった時、
娘はやはりnoteに綴るのだろうか。

メガッパ

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