沖縄紀行
2022年4月16日、妻と、そろそろ3歳になる子供を連れて、沖縄に向かった。
沖縄はこれで三度目だ。だが、前回は勤め先の先輩が段取りしてくれ、その前は学生時代に両親にくっついて行っただけだから、自分達で主体的に向かったのは、これがはじめてかもしれない。
そして、子供も生まれて、精神的にもだいぶ大人になった。過去には見落としていたものがたくさん見つかるだろう、そんな予感がしていた。
昼過ぎ、羽田空港から那覇に向けての飛行機に乗る。
子供は飛行機に乗れて少し興奮していたが、これから空を飛ぶということを、あまり理解していないようだった。窓の外の景色が見られない席だったから、飛び立ってからも、「自分が雲の上にいる」ことをどこまで理解していたのか…。
とにかく、2時間余り飛行機に乗っていると、那覇空港についた。狭い席で子供は退屈そうだったが、空港に着いてからは元気を取り戻した。
レンタカー屋に行って車を借り、恩納村にあるホテルに向けて出発した。
そう、レンタカー屋で乗り慣れない車を借りて…、俺は車の運転が苦手なのに…。ここからしばらく、心臓に悪い、恐怖の時間が始まった。
国道58号線は、沖縄の南北を貫く幹道だ。高速道路を除けば、最も大きな道だろう。もちろん、あらかじめ地図で下調べをしてきたつもりだ。3車線道路と書いてあった。これなら何とかなるだろう、そう、思っていた。
だが、実際に乗り出してみると、3車線どころではなかった。
入ってすぐ、5車線ぐらいに膨らむのだ。しかも、大量の車、バイク。どの車線を通ればいいのか、常に考えていなければならない。知らない道だ、一歩間違えば、リカバリーはできないかもしれない。
手が、震える。
今更運転を止めるわけにはいかない。
レンタカー屋で受けたアドバイス「恩納村まで行くなら常に真ん中か、右の車線を走ってください」だけを心の頼りに運転する。
なるほど、確かに、一番左の車線は、何の前触れもなく(本当は標識が出ているのだが、それを見ている余裕がない)幅員減少する。左車線を走っていたら、立ち往生していたかもしれない。
かといって、一番右の車線も、「植栽管理の工事」をしている地点があって、突然幅員が減少している。なので、今回の旅行は真ん中車線をずっとひたすら走ることにした。
両脇が嘉手納基地だ。池澤夏樹の小説「カデナ」の舞台になったところ。この基地から、ベトナムに向けて戦闘機が飛んでいったのだ。小説の色々なシーンが頭をよぎった。
日が沈み、真っ暗になる。
都市部から、民家も、繁華街もない、シュロの木が海岸沿いを黒い手のように揺れる中を、黙々と走る。やがて、2車線から1車線へ。
妻と息子は、道の両側にあるお店などを見つけて興奮しているが、俺にそんな余裕はなかった。
やっとホテルに着いた時、21時を過ぎていた。
チェックインのあと、すぐに夕食にする。ホテル内のステーキハウスが開いていた。だが、何を食べたのか覚えていない。よほど運転が怖かったのだろう。
夕食後、トイレと風呂桶が一緒のスペースにある、余り好きにはなれない風呂に入った。子供は風呂が狭くて怒っていた。
知らない間に、皆、眠っていた。
翌朝、9時近くになってようやく目を覚まし、ホテルのバイキングで朝食を摂る。美味しかったが、余り沖縄らしい料理はなかった。
朝食後、ホテル近くの海岸に降りる。クリーム色の砂地、エメラルドグリーンの海。砂の上を歩くと、時折小さなカニが走り去り、ヤドカリが顔を覗かせたりする。白い、色々な形をした珊瑚の欠片が落ちていて、子供はそれを拾って喜んでいた。
陸地側には、見たことのない植物が生えている。「アダンの木だ」と妻が教えてくれた。木にパイナップルが成っているみたいな感じだが、食用ではないらしい。よくみると、ひからびた実が地面に落ちていた。ある種のカニが食用にするとのことだ。
干潮の時間だったらしく、岩場に潮溜まりが出来ていて、そこに魚が泳いでいた。中には派手な色の魚もいる。皆で、どこに魚かがいるのかを目を凝らして探した。
そうこうしているうちに、お昼の時間になった。
妻と子供がホテルで休んでいる間に、歩いて昼食を買いに行く。「Burger Shop H&S」というハンバーガ屋さんだ。ハンバーガーとチーズバーガにポテトが付いてきて、マンゴージュースも買った。少し高いような気もしたが、とても美味しかった。
昼食後、子供が眠っている間に、窓の外から見える景色を描いた。五十嵐大介さんのような絵を目指したが、なかなかあの魔術的な雰囲気を出すのは難しかった。
子供が起きると、また海岸で遊び、夕食を食べに出かけた。「BlueCoast OKINAWA」というお店で、ハンバーグやら、生春巻きやら、沖縄そばやらを食べた。
翌朝、また、みんな9時ごろ起き出した。少し海岸で遊んだ後、「恩納村ふれあい体験学習センター」に向かう。何か子供向けの学習センターだと思っていたのだが…。
受付に声をかけてみると、「ここは修学旅行生を相手に三線などの体験学習ができるところ。一般の人が体験学習するには、予約が必要」とのことだった。
残念だが、仕方がない。
施設の裏にある海岸には降りてみることもできるとのことだったので、行ってみた。
クリーム色の砂、岩場、緑の海藻(おそらくアオサ)、そして、たくさんの潮溜まり。そこに、無数の生き物がいた。歩くたびに、砂と同じ色をしたカニが走り回る。体に海藻を纏わせたカニもうごめいている。ナマコのような、ウミウシのような、不思議な生き物。そして、最も印象に残ったのは、クモヒトデ(?)だった。5本の足を滑るように動かし、岩の穴から穴へと移動している。
私の地元は関東地方南部なのだが、あの辺りの海岸で、こんなに沢山の生き物を見ることはなかった。おそらく、カンブリア期の生き物たちも、こんな遠浅の海で暮らしていたのではないだろうか。いきなりオパビニアが出てきても不思議ではない。そう、思った。
あと、海岸に入り口を向けて、門中墓という不思議な建築物が何基もあった。その氏族全員の骨が入った「門中」の墓だ。どこか別の場所で遺体を骨だけにして、骨を洗って納骨するらしい。大学で「文化人類学」の授業で習ったことが現実に見られて、とても嬉しかった。
また、車に乗って、道の駅に向かう。そこで、お茶や「モリンガのタブレット」を買った後で、沖縄そばを食べた。あと、その場で絞ってくれたサトウキビジュースを飲む。もっと青臭いのかと思ったが、甘いクリームみたいな味わいで、とても美味しかった。
ホテルに帰り、しばらく休息する。
夕食は、「純沖縄料理 三線の花」というお店で食べた。最初車で向かったのだが、駐車場が分からず、一度ホテルに戻ってから、歩いて向かった。7時ごろだったが、まだ、明るかった。
歩いて向かったことで、車では分からない発見があった。
建物の土台のところに、「石敢當」と書かれた石板が埋め込んであり、その上にシーサーの顔みたいなものがくっついている。これは柳田國男の「海上の道」で読んだやつだ! 丁字路などに設けられた魔除けの石。中国発祥で、沖縄に多く分布している。
実は、石敢當は、私の住んでいるところ(関東地方南部)にも存在している。ちょうど自転車での通勤経路の壁面に埋め込まれているのだ。過去、琉球王国という別の国だった沖縄での習俗が、関東地方南部にも存在している。そんな発見に、驚いた。(たしか、「海上の道」では「琉球方面からの人の移動があった」ということの根拠の一つにしているはずだ)
本で読んだことが、実感として体験できる。やはり、即効性のない本でも、読んでおくと世の中を見る視点が変わることがあるようだ。
「三線の花」は、三線のコンサートを行なっている、沖縄料理を出す居酒屋だ。雰囲気がよく、子供もモリモリと食べた。予定時間に大分遅れてしまったのだが、お店は席をキープしてくれていた。たいへんありがたかった。
翌日の朝、ホテルを立つ。
また、あの58号線を爆走する。はたから見ていると危ない運転だっただろうが、気分は晴れやかだった。妻が運転をサポートしてくれたおかげで、何とかレンタカー屋まで事故を起こさずにたどり着いた。
そして、那覇空港。
もっと沖縄にいたかった。だが、とりあえず、さらば。巨大な飛行機は、那覇空港をふわりと飛び立った。
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