高木徹「ドキュメント 戦争広告代理店」読書記録

 これは、ボスニア紛争の表に出てこない情報操作について書かれた本である。高木徹氏はNHKの職員であり、番組で取材した成果の記録でもある。

 ボスニア紛争が何かについては、Wikipediaの記事を引用させていただく。
「ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争(ボスニア ヘルツェゴビナふんそう、セルビア・クロアチア語:Rat u Bosni i Hercegovini)とは、ユーゴスラビアから独立したボスニア・ヘルツェゴビナで1992年から1995年まで続いた内戦で、ボスニア紛争[1](英: Bosnian War)ともいう。」

 かつて第一次世界大戦の原因ともなったバルカン半島で起こった紛争である。(ボスニア紛争に続き、コソボ紛争が勃発した。そちらの方はわたしも「ミロシェヴィッチ大統領」という印象的な名前とともに記憶している)

 この紛争は、大きく二つの勢力の対立によって引き起こされた。旧ユーゴスラビアで最も勢力のあるセルビア人と、イスラームを信仰するモスレム人だ。
 激しい戦闘と虐殺が行われたとされる。

 最初に仕掛けたのがどちらかは分からない。そして、どちらの勢力が悪か、断定することはできない。そう、高木氏は述べている。この本がすごいのは「どちらが悪か断定できない」ということを、様々な人物の証言を具体的に示していることだ。頭の中の抽象的な思考だけで述べているのではない。

 だが、国際世論は、そして超大国アメリカの世論は「セルビア」が悪であるという方向に傾いていった。民主主義国家において、世論に反する政策を実行することは難しい(はずだ)。
 結局、世界から孤立したユーゴスラビアは、国際連合からの追放の憂き目に遭い、コソボ紛争で空爆を受けることになる。

 こうした世論形成の背後に、アメリカ合衆国のPR(Public Relation)企業があったことを、高木氏は明るみに出している。ボスニア・ヘルツェゴビナの「ハリス・シライジッチ外務大臣」をメディアに露出させ、モスレム人がいかに被害を受けているか、セルビア人がいかに恐ろしいことを行なっているか、アメリカ社会に印象付けた。
 そして、ついにはアメリカ合衆国政府自体を「反セルビア」側に動かすことにも成功する。多くの幸運があったとはいえ、その手腕は並みの人物では真似することができない。

 紛争の現場を知る人や、視野の広い人物は「どちらかを一方的に悪と決めつける性質の紛争ではない」と主張していた。だが、そうした人物はPR企業のイメージ操作によって失脚させられていく。
 こうして、その卓越したコミュニケーション能力のみによって、PR企業が一つの国を実質的に崩壊に追い込んだのだ。

 さて、この書物に書かれていないことがある。それは、一読した人なら誰しもが気がつくことだろう。
 PR企業は、なぜボスニア・ヘルツェゴビナ共和国の側に立ち続けたのだろうか、と。共和国が多額の報酬を払えるほとの経済状況ではないことは分かりきっていたはずだ。
 正義感からだろうか。だが、正義があるとすれば、それは誰かが殺されるのを止めることであり、誰かに悪のレッテルを貼ることではない。
 ビジネス感覚からだろうか。ここで実績を上げれば、次々に仕事が舞い込み、無限に金が儲かるだろう、と。それはあるかも知れない。
 それとも、大きな戦争を望む何か薄気味悪い力が働いていたのだろうか。例えば、戦争を望む軍需産業。
 だが、わたしの頭で考えても、結論は出ない。それでも、この点はずっと気に留めておくべきことだろう。

 情報操作によって政治を動かす技術は、特にヨーロッパにおいて伝統があると感じる。例えば東ローマ帝国(バルカン半島およびアナトリアの一部を支配していた)のミカエル8世の陰謀とも言われる「シチリアの晩祷事件」など。
 だが、それは国家が起こした陰謀だ。民間の広告代理店が国家の命運を左右するほどの力を持ち始めたのはごく最近のことだろう。浅い歴史しか持たない広告代理店が世界史を左右し、しかも今後成長し続けていくのだ。

 わたしはTwitterを使っている。タイムラインを眺めていると時々凄まじいRT数の呟きが回ってくる。それは、4コマだったり、肥大化した「事実」を伝えたりするものだ。
 面白い4コマを描く漫画家は広告代理店に目をつけられる。そして、いつの間にか広告代理店の指示する内容の漫画を描くようになる。
 もちろん、漫画家は自分の意志を持った主体だ。だが、広告代理店の存在を無視してお金を稼ぐことはできないのだ。いつの間にかシライジッチ外務大臣と同じような役回りを背負わされ、使い潰されていく。

 さて、どんな状況であれ、我々は面白い漫画を描き、読者を感動させることはできる。与えられた状況で最善を尽くし、生き抜くしかないのだ。どんなちっぽけな個人でも、誰かの掌の中で狡猾に生き、掌を利用することはできる。
 そこからが、人生の勝負どきであろう。

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