【短編小説】予見
僕は彼女に会ったことがないのに、恋に落ちてしまった。
今まで何回も僕の夢の中で彼女を見た。この夢はいつも同じように始まる。
街の中で散歩している僕は道の向こうで一人の女の人を見かける。
彼女はいつも花屋の前で足を止めて、外に並んでいる白いユリの近くにゆっくり屈む。目を閉じて、深くユリの香りを吸い込んで、いつも楽しそうに微笑んでいる。彼女が立ち上がると、髪の毛が太陽の暖かい光で栗茶色に照る。白いユリの花束を持つ彼女はその美しい緑色の目で僕を見て、また優しく微笑む。そして、僕の方に歩いてくる。僕は口を開けて、さけぶ。
「…こっち来ないで...!。。。止まって! 」
しかし、声が出ない。必死に彼女の方に止まるようにハンドサインを送っったが、彼女は僕を無視して歩きつづける。
僕の目から一筋の熱い涙が流れ落ちる。また彼女を止められない。僕は結局、何も変えられない。
彼女は道の真ん中に進む…
お願い。やめて。
僕は彼女の方に一歩踏み出す。もし、今回は違ったら…迷って、僕はもう一歩前に出る。もし、彼女を止められたら…
僕らは目が合う。僕は彼女の顔を見て、また絶望する美しい緑色の目が泣きそうに僕を見て、悲しそうに微笑んむ。
…そっか…また間に合わないのか…これで終わりか…
僕は横断歩道で膝から崩れ落ちる。
もう…いい。
この夢から目を覚ましたい。
僕は強く目を閉じる。もう…見たくない。苦しすぎるよ。もう見たくないんだ!起きろ!起きろよ!
ダメだ…涙が溢れて来る。自分の力では目を覚ますことはできない…この夢はとめどなく続く。次に起こることを知っているから、僕は目を開けられない。
彼女は、まだ道の真ん中に立っている。これから起こることは、見なくても分かる。またあの音が次に来るんだろ…?車のブレーキのけたたましい音とともに彼女の悲鳴が街の中に響く。ドン!という音を聞いて、僕の心は握りつぶされる。
すぐに静かになる。これで終わりだろう?数秒の沈黙の後、僕は目をわずかに開けて、確認する。目の前には彼女のさっき買った白いユリの花束。黒いアスファルトの上に花が散っていて…白い色はだんだん紅色に染まっていき…
。。。
僕は大きく息を吸いながら、跳び起きた。自分の部屋。汗だらけの布団から、体を起こした。心臓がまだ激しく鼓動するのを耳まで感じた。頭を両手でかかえて、静かに泣く。彼女の笑顔。今でもはっきり見ることができる。また、彼女を助けられなかった…
窓からの街灯の鈍い光が僕の寝室をそっと照らしている。部屋の隅には服が山積み。空っぽの棚の上の厚いほこりの中にある目覚まし時計に赤い番号が映る。ちょうど午前5時。ずっと同じ時間にその悪夢から僕は目を覚ます。毎晩同じ夢。毎朝同じ部屋。何も変わらない…何もできない。
僕は涙を拭いて、ゆっくり立ち上がった。あくびをしながら、ベッドの近くのジャケットを着た。今日も、彼女を探す。
外の冷たい空気を吸い込んだ。寒い。ジャケットのエリを上げて、寝静まっている街を歩きだした。
この道、違う。彼女が止まった花屋は…まだ見つけられない。歩きながら、辺りを見回した。どこだ?その道も…違う。
僕が気付くと、太陽が空の上で燦燦(さんさん)と光っていた。そんなに時間が経ったのか?あっという間に街が賑やかになった。
彼女を何回探しても、見つけられない。もう…いい。彼女は現実にいるわけがない…
そう考えた時、道で誰かに強くぶつかってしまった。
「すみません…」と僕は倒れてしまったその人に謝った。
その人からかすかにユリの香りが漂ってきた…
彼女はゆっくりと立ち上がって、僕を気にせずに、手でズボンをパタパタと叩いた。顔にかかった髪の毛をうっとうしそうに耳にかけた。
僕は彼女の顔を見たとたん、ゾクッとした…夢の女の人と同じだ。彼女だ。
彼女はこっちを見ると、目をまるくした。
「あなた。。。!」
僕の頭は真っ白になった。口を開けたまま、パクパクと動かしたが、声が出ない。
「…だ。だ。だい。じょう。。。ぶ?」
やっと絞り出した声とともに、彼女の方に手を伸ばした。
僕を見た彼女は怯んでいるように見える。彼女はこわごわと後ろに一歩下がった。
一歩一歩、彼女は僕を見つめながら、ゆっくり僕から距離を取り続けた。
「…だい…大丈夫ですか…?」
ぼくが再び口を開くと、彼女は急に背を向けて走り出した。まっすぐに横断歩道に向かっている。
そっちはダメ!
僕は慌てて彼女を追いかけた。まさか、夢と同じことが…!
道を渡っている人々の間を彼女はすり抜けていく。途中で後ろを僕の方に振り向いて、叫んだ。
「来ないで!私は…もう死にたくないの!」途端、前に出した足が不意に変な方に曲がってしまって、彼女はそこで前のめりに転倒した。
道の真ん中で。
遠くからエンジン音が聞こえた。だんだん大きくなってくる。
僕は彼女から視線を外さないように人混みの間を抜けた。彼女はまだ立ち上がれない。道を渡っていた全員は…もう歩道にいる。信号が変わった。
車が見えた。。死神のように黒いそのトラックは高速で道を走ってくる。
彼女は苦しそうに立ち上がった。左足を引きずって、ぼくとは反対側の歩道に向かおうとしっているが…もう遅すぎる。間に合わない。
彼女を必ず助ける。今回こそ。
彼女のところに走っていった。
これは夢じゃない。夢なんかじゃない!
冷たい空気を吸い込むたびに、胸が痛い。息苦しい。固い道を叩き続ける足がしびれていく。体が壊れてしまうかと思ったが、力を振り絞る。彼女は立ち止まって、すぐそこに来ているトラックを呆然と見つめている。
彼女はもうすぐそこだ。トラックの風圧を左半身に感じる。
彼女を助けるために、手を伸ばした。
この瞬間。永遠のように感じた。
迫りくるトラックの姿が太陽の光をふさいだ。影の闇の中で僕はゾクッとした。
死神のような冷たい金属が僕の伸ばした手に触れた。低いエンジン音が悪魔の笑い声のようにしか聞こえなかった。
指先が彼女に届いた。瞬間、彼女の小さな背中をグッと押した。
刹那、全てが速すぎた。
トラックのブレーキ音。
彼女の悲鳴。
激しい衝撃で、僕は固いアスファルトの上に叩きつけられた。
しばらく転がって、僕の体は止まった。
気付くと、仰向けに倒れていた。空が青い。全身が痛い。
瞬きをした。ぼんやりとしか見えない。頭が痛い。クラクラしている。
僕の近くでエンジン音がまだ聞こえている。トラックのドアが閉まる音。男の人の声。彼の必死に謝る声。
。
暖かい液体に僕の体が包まれている。暖かい、けど、なんでこんなに寒いの?
僕の体が徐々に冷えていくのを感じる。ああ、眠い。
ゆっくりと瞬いて、周りを見た…
彼女…彼女はどこ…??
僕の近くに、白いユリの花束が、真っ黒なアスファルトの上に散らかっているた。
…そのユリの白い色がだんだん真っ赤に染まってくる。
僕の夢とまったく同じ景色だった。
…突然、僕の上の青空から彼女の顔が現れた。その美しい目は苦しそうな涙で溢れている。
「…き…み…大丈…ぶっすか?」
あれ?言葉が出ない。なんで?口をよくうごかせない?頭の中も変だ、うまく考えられない…
目が合った瞬間、奇妙な静寂が僕たちを包んだ。
「あなた…どうして…?」
ポツポツと暖かい涙が僕の顔をそっと叩いてきた。
よかった。
せめて、君を助けることができた。
眠りたい。目を閉じると、彼女のしくしく泣く声が聞こえる。
「ね…起きて…起きて!」
なんだか、彼女の泣き声…遠さがっているみたい。
ごめん、君ともう少しいたかったのに…
。。。
「起きて!」
彼女の声が急にめちゃくちゃ大きくなって、僕は目が覚めた。
自分の部屋にいた。
棚にある目覚まし時計を見た。
ちょうど5時だった。
突然、ガラスが割れる音が響いた。
それは、僕の心をひどい罪悪感の圧力で潰す。
ためらって、棚の前の床に目をゆっくり向けると、壊れた写真立てがあった。
「…僕を…まだ責めているのか…?」
空っぽの部屋の闇の中で僕はそれに声をかけた。
僕はベッドから降りて、ほこりに覆われているガラス片の中から丁寧に写真を取り出した。
部屋の鈍いライトの光ではよく見えないけど、映っているその人はよくわかった。栗茶色の髪の毛。緑色の目。
彼女だ。
彼女の肖像を抱きしめて、目を閉じた。
「…あの日、道を渡っている君を見ていたら…君はまだ生きていたかも…許してくれ」
チャラ。チャラ。
壁にかけている金属がかすかに音を立てた。
白いユリのキーホルダーにぶら下がったトラックの鍵。
風もないのに。
許してくれ。
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