#188 人事のキモが据わった身体的体験 24/6/1
みなさん、こんにちは。
今日は、リーダーシップの礎になる経験を考えます。
キャリアを重ねていくと、のちに振り返った時に、あの経験は今思えば血肉になっているな、と考えるタイミングがあります。多くの人が折々で、自分に影響を与えた経験をされていると想像します。
それは、大別すると、自分がリーダーシップを発揮した経験、あるいは重要な教訓を学んだ経験、なぜか没頭できた経験、あたりに収斂されると考えます。
数年前に、わたしが「人事ってこんな仕事に向き合うのか」と肝を据えた経験があります。
それは人事制度の改定にあたって、従業員に対する制度説明会を行なった際の経験です。当時わたしは、人事担当になってまだ日の浅い時期でした。それでも制度改定の主担当、結果プロジェクトマネージャーを任せてもらいました。
事業、事業所が複数ありましたから、各地に赴いて、20-30人の単位から200名規模と、色々なパターンがありました。その中で、わたし自身が担当している事業ではない、事業譲渡によって新しく当社にジョインする会社、部門に対する説明会もいくつかありました。その中の1つで事は起きました。
一言で言うと、場を荒らされました。その説明会は1回30名規模、かつ吸収される側です。
ある従業員Aさんが、説明会の中盤あたりで、説明するわたしのいる前方に出てきました。そして、映写されているプレゼンテーション資料をさしながら、アジテーションが始まりました。
「こんな曖昧な人事制度で自分たちから搾取しようとしている。みんな騙されてはいけない」
「この裁量労働制も、残業代をコストカットして、無限に働かせる罠だ」
「現在の報酬も確保されるように言っているが、ほとぼりが冷めた頃に、評価を盾に下げようとしているに違いない」
今思い出しても、あの暴挙は鮮明です。このアジテーションに対して、少なくない人が賛意を表していました。それ以外のマジョリティは我関せずと傍観していました。
ちなみに人事部門からは、わたしが1人で訪れていましたから、味方はおろか、名前を知っているレベルの従業員も当然に皆無です。
10分程度その行為は続き、それに対抗しつつその収集に追われながら、最後まで説明を行ないました。が、荒れた状況ですから、後半はほとんど説明はしたアリバイだけが残り、従業員の頭にもほとんど制度の話は伝わらなかったと想像します。
実はこの日は、この後、もう一回説明会がありました。説明会までは数時間の間がありましたから、その事業所に間借りをして他の仕事や準備をします。
その間、先の説明会に参加した従業員も多数いる環境ですから、噂話が聞こえてきます。
「Aさん、暴れたらしいよ。人事の人可哀想だった」
そんな会話が、いくつかの方角から聞こえました。はらわたが煮えくり返る一方、わたしもバツが悪いので聞こえないふりをしてやり過ごしていた気まずさを今でも鮮明に覚えています。
2回目は特に荒れることなく、滞りなく、会は終えられました。とにかく1回目のときは、後半何を話したかあまり記憶にないくらい、事態の収集と説明を最後まで終えることに集中、と言うより、ただただ対処していたと記憶しています。
翌日は朝から、300名規模の説明会がありました。前日の悪夢が蘇りながらも、無難に終えることができました。
その始まる前に、前日の出来事を、当時の上長と、その上の人事担当役員に報告をしました。報告とともに、怒りというか、むしろ若気の正義感に駆られて、暴力的行為で訴えたいと相談したくらいです。
その時に、上長と役員から言われたことです。
「企業再編とそれに伴う人事制度の変更の状況は従業員はとても疑心暗鬼になる。そのくらいの暴力的行為は、人事は受けとめる度量も必要だよ」
会社が一緒になったり、なくなったり、それによって人事的な処遇が変わる人たちは不安なのだ、と初めて理解した覚えがあります。
確かに許される行為ではないと、今でも変わりません。それでもなお、もう一方では、従業員を理解するとは、どういうことなのか、考え直す経験になりました。
そして、何より学んだことは、人事の仕事の深さです。「人が何に心を動かされるのか」、そしてそれに向き合う覚悟が醸成されました。たとえば、ぼこぼこに殴られても、それに向かい合うリーダーシップの意味に腹落ちしました。
以降、労務は本丸の役割ではないものの、かなり難易度の高い従業員や事案に対応することでも、腹を据えて対応できるようになりました。
この1つの身体的体験が、自分の人事の覚悟を決めた大きなきっかけだと振り返ります。
みなさんは、自分の役割に腹落ちした経験はどんなものでしょうか。
それでは、また。