即死する世界
高校時代、美大受験専門の画塾。生徒みんな真剣だった。自分も高2でサッカー辞めて入っての遅いスタートだったので、超必死。
そんな画塾に当時いた先輩Aさん。優しくて、本当いい人で、残念だけど絵が下手だった。要領の悪い絵をいつも描いてた。講評で絵が並べられる時、Aさんの絵はいつもビリか、ビリに近い場所。教室に並んだ、約30人が見つめる、冷酷に順番の付けられた絵。
あれから10年以上過ぎ、今日これを読んだ。
乱暴にまとめれば、誰が有能で、誰が無能か、もっとハッキリさせてこう、ってことだと思う。
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最近仕事でメール相手が担当1人だと、不安を感じるようになってきてる。CCに人がいると安心する。誰がその仕事のキーマン、アイデアマンで、誰が(ある意味)障害になってるか、可視化されやすく、ミスは記録される。自分のように後ろ盾無しフリーランサー、体1つで企業と対峙する身としては、CCに人が多いと心強い。CCに色んな人が入ってれば、いち担当者の謎意見で案件がコケることが、ある程度抑止される。
能力の可視化という意味で、世界がどんどん透明になってきてる感じがするし、この流れは止まらない。自分がダメになった時、それを隠し通せない世界がやってきている。サッカーする人は試合中、自分より下手な人の指示を聞かない傾向があったし、絵描きも、自分より絵のヘタな人の話をあまり聞かない。いい人かどうかは全然関係ない。「上手下手」だけが大事な世界。
プレーヤーを続けてれば、いつか「下手」になって誰も話を聞いてくれない日が来るし、今できることは、頑張って能力を高め、その日が来るのを少しでも先延ばすことだけ。。
たまに、すごくいい人だったAさんを思い出す。平等で透明って、自分がその世界で強者の間は素敵だけど、メチャクチャ残酷でキツいシステムだとも思う。どんどん透明になる世界が本当に正しいのか、自分がどこまで行けるのか、時々考えこんでしまう。