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#274 「評価」は謙虚な畏れを持って行なう 24/11/27

こんにちは。
今日は、従業員の評価をする際にもっておくスタンスを考えます。

(実例を基に編集しています)
先日、毎期ごとの評価・査定の場がありました。その評価を決める会議の中で、あるできごとがありました。

ある従業員Aさんに対してかなり厳しい減給を伴う評価でした。

高い等級に格付けられているものの、その等級要件とは相当にかけ離れたパフォーマンスであるのが1つの理由です。

それから、もともとの職能専門性から、少し横にスライドした職域への配置転換があり、現時点でその新しい業務に必要なスキル習得の期間でした。しかしながら、そのスキル習得のスピードが遅れており、課長Bさんからすると不足がある、と評価したい考えでした。

さらに、この従業員Aさんに対してのレポートラインが、課長Bさん、課長Cさんとで指示や管理を分業していました。その管理と責任所在の曖昧さもあり、顧客業務に配置された期間がほとんどないこともわかりました。

一方、従業員Aさんからは、その数か月前に、人事部門あてに面談依頼が
あり、わたしも人事担当として話を聴く機会がありました。内容は、上記に記載した、業務アサインメントが変わる中で、スキル習得のための課題もほとんど提示されず、緩やかな課題ゴール状態が指示に留まっていたそうです。そのような状態だったため、どちらかというと初めは今後のキャリア相談、段々と現在置かれている仕事環境(課長や取り組み課題など)についての不満が中心でした。

話を伺った結果、たしかにビジネスパーソンとしてのキャリア歴と現在の等級からベテランではあります。が、だからといって現在の置かれている環境には、やや上長課長Bさん・Cさんのマネージメントには、やや緩さがあるな、との感想を持ちました。

この経緯を踏まえた上で、課長Bさん、Cさんの上長である部長Dさんが今期の評価について説明・言及をされました。その評価コメントに対して、事業部門責任者Eさんからもいくつかの確認的質問がなされ、その応答が冒頭にありました。Eさんのツッコミはそこまで各論には及ばず、一端の理解をされたようです。

それに続いて、背景を知っている人事担当のわたしから、今回の厳しい査定に対して、あらためて疑問を呈しました。
「相当にきつい評価査定ですが、ややもすれば罰をあたえるような評価目線になっていませんか」
「Aさんに対する、課題の提示や、スキル習得の進捗状況の確認、相談や助言など、十分なフォローマネージメントはできていたのでしょうか」

すると、部長のDさんははじめのうちは、Eさんに対してした回答のように、Aさんの不足点のみを説明し、評価の正当性を主張されていました。掘り下げていくと、課長Bさん、Cさんも自分たちのマネージメントを振り返り、状況を理解したようです。
「マネージメントがかなり疎かになっていた」と話してくれました。
それに呼応して、部長Dさんも、同様の振り返りをされました。

このように、評価は、その対象者にもっている元々のバイアスをかける傾向が強いです。一度、表彰に上がるくらいの高パフォーマンスを出した従業員には、その看板が残ります。そして、良い仕事のアサインメントが提供され、その仕事には上長も関心度が高いため、目をかける、するとパフォーマンスが出やすくなる、また高い評価を得る、とのサイクルが回る傾向があります。バッドサイクルも同様です。

ですから、立ち止まって、冷静に、第三者の目線も入れて、評価査定プロセスを機能させることが、人事のしくみとして重要になります。

それから、評価者となるマネージメントに立つ人には、評価記号を付ける、ではなく、従業員の一時の金銭的報酬を決める大きな責任が生まれます。その権力の大きさに、謙虚になる、もっといえば畏れ・畏怖心をもつマインドセットが必要です。その給料をきめることへの畏れを持つこと、これが肝要な点です。

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